カテゴリー別アーカイブ: 因果律

自然災害と因果律の関係

自然災害と因果律 | カレスティア

前回のユスラウメに似ていますが、こちらはスモモの花です

因果律とは、個人のみならず、地球、そして宇宙の隅々にまでにいたる普遍の真理です。

地震や津波、火山の噴火といった自然災害も因果律によって起こります。もちろんこれらは、誰かが何かをしたから起こるというものではなく、もっと物理的なことが原因となって発生します。

しかし、自然災害が発生したときに、被害がより甚大なものになるか、それとも被害を最小限に食い止めることができるかどうかは人間側、特に国や県、市町村といった行政の因果律になります。

たとえば山崩れが予想されるような地盤の弱いところに建設許可を与えるかどうか、大きな地震が発生したときに津波の可能性を考慮し、迅速な避難命令を出したかどうか、といったようにです。

では自然災害で被害にあった個人と因果律はどのような関係にあるのでしょうか。

多くの場合、罹災(りさい)した個人には原因はありません。つまり個人に責はなく、あくまでも自然界だからこそ起きる偶発的な事故なのです。

偶然に罹災し、ケガをし、ときには他界するというのはあまりにも理不尽です。とうてい納得はいきませんが、自然災害とは、自然界に生きる私たち固有のリスクであり、ことほどさように自然界とは脆弱(ぜいじゃく)なのです。

「自分のこの苦境は一体、何の因果なのだろうか?」
いくら考えてもいっこうにわからないときは、ご自身のスピリットガイド(指導霊)に尋ねてみませんか?
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原因不明の因果律

原因不明の因果律 | カレスティア

一見、ウメの花のようですが、アンズの花です。鮮やかなピンク色をしています。

この世の全ての出来事には因果律が働いています。
つまり、何かが起きたときには、そこには必ず原因があります。

今日は単独ではなく、相手のある事故について考えてみましょう。

事故が起きてしまった理由には
・不注意だった
・あわてていた
・イライラしていた
・ぼんやりしていた
など、必ず原因があります(熟考すれば、原因の元となった真因に気づくはずです)。

原因が自分にある場合は「自分が悪いのだから仕方がない」と思うこともできますが、どう考えても自分に非がない場合は、なかなか納得がいきません。
「なぜ、私がこんな目に合わなくてはいけないのか」と、被害者意識が気持ちを支配してしまい、事故に理由や意味を見出すことがなかなかできません。
そして「この世はなんて不条理なのか」と嘆き悲しむことになってしまいます。

因果律を理解する難しさのひとつに、原因が今世にあるとは限らないというのがあります。あまりにも相手の一方的な過失による事故の場合は、その原因が過去生にある場合もあるのです。

事故を発生させた相手を過去生であなたが傷つけ、お互いに憎しみ合っていたのかもしれません。そして今世で、あなたが逆に傷つけられ、その痛みを体験する。そして、憎しみに打ち勝ち、相手を許すことを求めているのかもしれません。

ここまで複雑になると、単に因果律だけではなく、霊界でお互いに決めた再生の計画もからんでしまい、原因がより一層わかりにくくなっています。

いずれにせよ、事故が起きた時にその原因を注意深く探すことが大切です。どうしても原因が見つからない場合は、その事故から何を学ぶべきなのか、どうすべきなのかを考える必要があります。

「どうして私がこんな目に合わなくてはいけないのか」
と思った時には、その本当の理由について、ご自身のスピリットガイド(指導霊)に尋ねてみませんか。
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病(やまい)は気づきのチャンス

病(やまい)は気づきのチャンス

ガザニア

病原菌によって感染する病(やまい)以外、言いかえると、ほとんどの病の原因は、自分の心の在り方にあると言っても過言ではありません。

もう少し具体的に言うと、頑(かたく)なだったり、バランスを欠いていたり、要するに人としてのあるべき姿、本来の自然な状態から長く外れていると、やがて病となって身体に症状が現れてくるのです。

ときには、現世だけではなく、過去生においても不自然な心の状態を何度も繰り返してきたことによって、生まれついての病となる場合もあります。

しかしながら、病を信賞必罰のようにとらえるのは、少々筋違いです。
むしろ病は気づきのチャンスととらえたほうが、より建設的です。

病になったら、自分の心の中にバランスを欠いているものがないか、不自然さがないかをじっくりと考えてみましょう。気づくことがあったのなら、それを少しずつ直していけばよいのです。

病は人生をより素晴らしく、輝くものにしてくれる可能性を秘めているのです。

家族が他界し「あの人は何をしているのだろう」と不安と心細さを感じたら、ミディアムシップを受けてみませんか?
詳しくは「ミディアムシップ」をご覧ください。

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勤務中のケガ

勤務中のケガ

オオイヌノフグリのつぼみです。別名「星の瞳」ともいうのだそうです。ロマンチッック!


勤務中にケガをされて療養されている、または、ケガをした経験がある方はそのまま、そういった経験がおありでないなら、ケガをしたと仮定して、お読みください。

ケガは偶然ではなく、因果律によって発生します。
ですから「不運だった」で、片付けてしまってはいけません。原因をしっかりと見極める必要があります。

たとえば、
・不注意、慢心
・手順やルールを守らなかった
・集中力に欠いていた
など。
なぜケガをしてしまったのか、その原因を把握しましょう。

それと、ケガこそしなかったけれども、ひやっとしたり、怖いと感じたといったような経験がありませんでしたか?
そういった経験が何回かあった後にケガをしていませんか?

因果律は大切なことを知らせてくれるサインです。
ケガに至るまでにいくつものサインがあったはずです。
あなたはそのサインを見逃していたのではありませんか?

今回のケガもサインです。
このサインを無視してはいけません。次は今のケガよりも、もっと大きな問題が起きてしまうかもしれません。

不注意や手順無視をしていたことが分かったのなら、それらをしてしまったそもそもの原因と理由を解明し、手を打たなくてはいけません。

それともう一つの可能性も考えてみてください。
あなたが職場を辞めたいと思っている最中での事故であったのなら、迷っているあなたの背中を押し、転職を促すためのスピリットガイドからのメッセージかもしれません。

どうしてもウマの合わない人がいる。その人ともう少しうまくやっていくには、どうしたら良いのだろうか?そんな時には、スピリットガイドのアドバイスを聞いてみませんか?詳しくは「ホームページ」をご覧ください。

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親の因果が子に報う?

親の因果が子に報う?

イガに包まれたクリが落ちていました

ことわざに「親の因果が子に報(むく)う」というのがあります。
「親が行った悪いことはその子供におよび、結果として、 何の罪もない子供が苦しむことになる」という意味です。

また、ことわざではありませんが、「先祖の悪行が子孫にたたる」ということも、まことしやかに語られます。

これって、本当なのでしょうか?

私はあり得ないと思っています。
因果律は、あくまでも本人限定。
種を蒔いたら、蒔いた本人が刈り取るのが鉄則です。
親や先祖が何かをしたからといって、子や子孫がその因果を受け取るといことはありません。

自分にとって不都合な状態や病気、障碍(しょうがい)は、自分の今生または過去生による因果律なのです。

兄弟姉妹とあるいは、父、母と本当は仲良くしたいと思っているのに、ギクシャクしていませんか?なぜうまくいかないのか、どうしたら仲良くなれるのか、スピリットガイドのアドバイスを受けてみはいかがでしょうか。詳しくは「ホームページ」をご覧ください。

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