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法要

法要 | カレスティア

カリンの実

今回は仏教に焦点を当てて書きますが、神道やキリスト教、その他の宗教にも当てはまる点が多いと思いますので、置き換えてお読みいただければと思います。

ご家族が他界されたあと、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌・・・と法要が続きますが、スピリットは、法要をどのようにとらえているのでしょうか。

これはスピリットの生前の宗教観と密接に関係があります。

まず生前、お寺で開かれる講や法話に足しげく通い、お仏壇の前でお経を唱えていたような方であったのなら、ぜひとも回忌ごとに法要をしてあげてください。僧侶がお経をあげ、家族が法要を催してくれることに感謝と満足感で満たされるでしょう。

あまり熱心な信者でなかったり、むしろ無宗教に近い感じの方だったのなら、回忌にとらわれることなく、他界した日、誕生日といった、そのスピリットの記念日に、数年ごとに偲ぶ会をしてみてはいかがでしょうか。
場所は必ずしもお寺である必要はなく、レストラン、ご自宅、どこでもいいでしょう。縁のある方々が集まり、スピリットにまつわる思い出を語り合ってください。スピリットは、自分のために集まってくれ、自分を思い出してくれることに喜び、感謝します。

法要にせよ、偲ぶ会にせよ、皆さんが会食でワイワイとしているときに、スピリットが楽しそうに、みんなの話の輪に加わり、次のテーブルへと移動していく姿をよく見かけます。そんな時のスピリットの表情は笑顔にあふれ、本当に楽しそうにしています。

「法要なんてナンセンス」といわずに、都合がつくのであれば、法要、または偲ぶ会をしてあげてください。スピリットはきっと喜びますよ。

「今の自分は、人生の目標にかなった生き方をしているのだろうか?」
そんな疑問を感じたときは、スピリチュアルカウンセリングで、指導霊に尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

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宗教の功罪

宗教の功罪

宗教には一定の役割と意義があります。

それは、生きる意味や目的を見出せないでいる人生での迷いの時期に、ある程度の道筋をみせてくれたり、すさんだ心を癒してくれるものであったり、ときには道徳や倫理の意識に欠ける者に対して抑止の力となります。

でも、宗教にはエゴが同居しています。

それは組織として継続発展するためであったり、現世界で長きにわたって伝えられてきたことによる人間特有の不純物の堆積によるものなどです。

エゴは神の真理を見えにくくしていきます。
そして人は真理よりもエゴの方に共鳴しやすいので、宗教者の教えに従えば従うほど、神の意に反して、神からより遠ざかっていきます。

宗教には光と影があります。
このことを理解しておく必要があります。

もし影を感じるようになってきたら、あなたは宗教からの卒業の時期が近づいたと考えてよいでしょう。次のステップに近づいたのです。

宗教を手放すことは、神を捨てるこではありません。
汚れを一つずつぬぐい去り、神の真理に沿った生き方をしていくこと、それが本来の姿であり、本当の信仰だと思うのです。

迷った時は、スピリットガイド言葉を聞いてみませんか?詳しくは「ホームページ」をご覧ください。

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宗教の呪縛(じゅばく)

宗教の呪縛(じゅばく)

ブリーベリーのつぼみが少しふくらんできました

自分が信仰している宗教に疑問を感じ、離脱したいけれども、ちゅうちょしてしているという相談を受けることがあります。

具体的に何に疑問を感じているのかというと、
・教義に無理・矛盾がある
・信者以外と交流することに困難を感じる
・信者同士のムラ社会に息苦しさがある
・幹部たちの行動に倫理的問題がある
などをあげられます。

ではなぜ、宗教をやめることをちゅうちょしているのか、その理由を伺うと
「信仰を捨てると地獄に落ちる」
と教団から言われているのだそうです。
そして、本人も本気でそう信じているのです。

「信仰を捨てると地獄に落ちる」というのは、新興宗教によくある常套句(じょうとうく)です。

冷静になってよく考えてみて欲しいのですが、どうして神が自分の元を離れたからといって、地獄に落とすのでしょうか?それじゃまるで、チンピラと同じです。

宗教の本部から見ると、信者はきっと金づるなんでしょう。
手放したくないから「信じれば救われる」と言ってアメを与え、「信仰を捨てると地獄に落ちる」と言って、ムチをちらつかせるのです。

新興宗教とはそんなもの、というのなら話は早いのですが、伝統的宗教も大同小異です。

信仰とは、神の真理を受け入れ、生きていくことですが、これが宗教という団体になった途端、存続と維持のため、様々な腐敗が始まるのかもしれません。

真理とは何かと悩んだときは、ご自身のスピリットガイド言葉を聞いてみませんか?詳しくは「ホームページ」をご覧ください。

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自分は正しい「宗教の功罪」

自分は正しい「宗教の功罪」

朝露が鏡のように輝いていました

宗教とは本来、魂の救済であり、神の真理を伝えるものです。

しかし長い年月にわたって、人々を介して伝えられていく際に、たくさんの汚れのようなものを身にまとってしまいます。どんなに純粋なものであっても、神界とは異なる現世界特有のことで、ある程度は仕方のないことかもしれません。

そういったものの一つに「自分は正しい、相手が間違っている」という考えがあります。

この考えを分解してみてみましょう。
「自分の宗教で言っていることが正義である」
・・・よく考えて欲しいのですが、その出典は聖書やコーラン、仏書ですか?
もしかしたら、牧師やラビ(教師)が言っていることを鵜呑みにしているのではありませんか?
神は本当にそう言っていますか?

「相手が間違っている」
・・・相手が本当に言いたいことを理解しようとしていますか?表面的なことだけをとらえて、その奥にある考えや相手の立場まで、理解する努力をしていますか?

「自分は正しい、相手が間違っている」という考えを続けていては、いつまでたっても平行線です。お互いを理解し、尊重することなんて、いつまでたってもできません。
この考えを手放すことができず、人類は有史以前から、現在に至るまでいさかいを続けています。

日本だって例外ではありません。何もない穏やかな時には表面に現れませんが、ひとたび、問題が発生すれば、この考えが頭角を現し、牙をむきます。
相手をやり込めることを神は望んでいません。あくまでも自分と向き合うことを望んでいるはずです。

良い解決策がなく、八方塞がりだと感じた時はスピリチュアルカウンセリングを受けてみませんか?詳しくは「ホームページ」をご覧ください。

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