カテゴリー別アーカイブ: 自己愛

「〜のに」

「〜のに」

「あれだけ愛したのに」
「あれだけしてあげたのに」
というように「〜のに」という言葉には、報われない思いとなげきが入っていますね。

でもよく考えてみると、「〜のに」は、見返りを期待していると言えるのではないでしょうか。

相手にプラスになるようなことをしていたとしても、それがすべて、自分に返ってくることを前提に行っているということです。
極端に言うと、相手のためにしているのではなくて、自分のために行っている、と言うことができると思うのです。

先ほどの言葉は
「自分が愛されたいから、相手を愛する」
「自分を喜ばせて欲しいから、相手にしている」
と言い換えることができます。

これは自己愛以外の何物でもありません。
自己愛は真実の「愛」とは異なるものです。

「〜のに」と言って、嘆く時があなたに来たとしたら、自己愛ではない、真実の愛に気づくチャンスなのかもしれません。

「この仕事一生続けていていいのだろうか?」と疑問を感じた時は、スピリットガイドからのメッセージを聞いてみませんか?詳しくは「ホームページ」をご覧ください。

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自己愛の原因

自己愛・ハート石

ハート石

なにを自己愛と呼ぶのか、なぜ自己愛がおこるのか、これを把握することはとても大切なことです。

自己愛とは、端的にいえば「自分さえよければ良い。人のことはどうでも良い」ということだと思います。
自己愛がおこる理由ですが、これは「肉体があるがゆえの生存本能」としているものが多いと私は考えています。

「自分さえよければ良い。人のことはどうでも良い」は、すぐにご理解いただけると思います。

では、「肉体があるがゆえの生存本能」に起因するとは、なんでしょうか?
もう少し詳しく説明したいと思います。

それは、現世に生きている限り、わたしたちは肉体を無視することはできません。
肉体を養なわないと、やがて衰え、死に至ってしまうからです。
・・・死といっても、肉体の死であって、魂は死にませんが。。。

人類は、長い長い間、飢餓を経験してきて、いつも死と隣り合わせでした。
日本をみても、飢えから解放されたのは、ごく最近のことです。
世界中には、まだ飢えから解放されていない国もたくさんあります。

この「肉体を守らないと生きていけない」という危機感が、私たちの記憶に刻み込まれ、たくさんの自己愛を生み出している、と私は考えます。

・欲しい物は全て欲しい
・残り少ないものはとりあえず確保する
・人と分け合うなんて、思いもつかない
・人のことよりはまず自分

どうでしょうか?
これらの欲望=自己愛は、飢餓感が遠因としていると感じませんか?

「肉体をもっている限り、永遠に自己愛との戦いである」と私は考えています。

現世で自己愛を手放す努力を最後の最後まで続けること。
それができて初めて、魂だけの霊界にいったとき、自己愛からはじめて開放されるのでは?とさえ考えています。

次回は、どうしたら隣人愛に生きられるのか?について、書かせていただこうと思います。

迷った時、悩んだ時には、スピリットガイド(指導霊)からのアドバイスを受けてみませんか?
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ボランティアと「自己愛」

今日は朝から小雨が降っていて、涼しいですね。
暑い日が続いていましたので、過ごしやすくて助かります。

ボランティアと自己愛

あなたのまわりにボランティアに参加されている方、もしくはボランティアに参加された経験がありますか?
ボランティアは以前に比べて、かなり身近になってきました。
自然災害が発生したときに被災した人へ食事を提供したり、復旧活動に参加するといった緊急かつ、大規模なものがある一方、日常の生活のなかで、お年寄りの話し相手になったり、子供たちに読み聞かせをしたりといった、身近なものもあります。
ボランティアはとても素晴らしいことです。
しかしボランティアにも「自己愛」が潜む可能性があります。
「なぜボランティアをするのか」という動機が大切なのです。
あなたがボランティアをしたとき、なぜしたのかを思い出してください。
・困っている人を助けたかった。
・自分ができることを役立てたかった。
・気がついていたら、やっていた。
いいですね。素晴しいです。
まさに「隣人愛」です。
・自分が良いことをしているのを人に見てもらいたかった。
・選挙に立候補したかったので、その地盤作り。
私のブログを読んでくださっている方なら、これらの動機は「自己愛」なのがすぐに分かっていただけると思います。
なぜなら、ボランティアを通して、自己利益を求めているからです。
では、こんな経験はありませんか?
・手を差し伸べたのに「ありがとう」と言ってくれなかった人がいて、腹がたった。寂しかった。
・ボランティアの経験をほかの人に話したが、反応が薄く、興味を持ってもらえなくて、残念だった。
もしこれらの感情が湧いてしまったのなら、残念ながらそのボランティアは「自己愛」で行ったことになります。
ボランティアは「無償の愛」で行うものであって、そもそも感謝してもらうことを期待してはいけません。もし感謝してもらえたら、それは想定外の喜びです。
そして、ボランティアは人に共感してもらうために行うためのものではありません。自分が突き動かされて行うものです。また、その行為を人に話すべきではありません。
「自己愛」は本当に私たちの身近に潜んでいて、「隣人愛」の仮面をかぶっていることすらあるのです。

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おせっかいと「自己愛」

今日も暑いですね。
日差しが強すぎて、いのちの危険すら感じそうです。笑

おせっかいと自己愛・ひまわり
さて、今日も「自己愛」について、例をあげて書かせていただきます。
「自己愛」の対極にある言葉は「隣人愛」です。
あなたの周りに「親切な人」はいますか?
困っている人を放っておかず、親身になって動いてくれる。そんな人です。
では、あなたの周りに「おせっかいな人」はいますか?
色々とやってくれるのはいいのですが、こちらが望んでいないこともあれこれ世話をやいてくれて、思わず苦笑してしまうような人です。
・・・?
「親切な人」と「おせっかいな人」は、何が違うのでしょうか?
どちらも当の本人にとっては、「人のため」と思って、行動しているはずです。
「親切」と「おせっかい」は紙一重なのでしょうか?
いいえ、違います。
「親切な人」は、相手のことを真剣に考え、相手が本当に望むことだけをします。
相手が必要としないことはしません。
そして、相手が経験しなければいけない困難には、あえて援助をしません。
近くで見守って、必要な時がきたら、そっと手を差し伸べてくれます。
一段高いところから、辛抱強く、そしてたくさんの愛をもって、見守っていてくれているのです。
「おせっかいな人」は、自分だったら、こんな時にこうして欲しいだろうな。こうしてもらえるとうれしい。そう考えています。
ボランティア精神はたっぷりあるのですが、相手の立場に立って考えるというスタンスには欠けています。
そして、転ばぬ先の杖になろうとします。
「困難=あってならないこと」と思っています。すべての困難を払拭しようとします。
辛いこと、困難がないこと、それが、幸せだと信じています。
実は、「おせっかい」は「自己愛」なのです。
視点や価値観が、すべて「自分」にあるからです。
どこまでも相手の立場で考え、高みで見守り、辛抱強くあること。
これが本当の「隣人愛」なのです。
「自己愛」には、言葉から感じる事とは、だいぶ違うものも含まれています。
家族や友人に援助をする前に、それが本当に「隣人愛」なのか、それとも「自己愛」なのか、ちょっと考えてから行動できるといいですね。

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「自己愛」水を買い占めた親子

毎日暑い日が続いていますね。
渡英して、アーサー・フィンドレー・カレッジで学んだことで、「自己愛」についての記述が中断していましたので、久々に書かせていただきます。

自己愛・青空
もう3年が経ちましたが、311東北地方太平洋沖地震で、私が実際に体験したことを書きます。
3月11日に大きな地震が数回あり、わたしの住む地域でも停電してしまいました。
その日は真っ暗な夜を過ごし、なんども揺れる地震に悩まされながら、ようやく朝を迎えました。
顔を洗おうと水道をひねりましたが、水が出ないのです。
断水してしまったのです。
このままでは飲み水にも困るので、近くのコンビニへミネラルウォーターを買いに行きました。そこには、先客の女性と小学生の子ども(おそらく親子でしょう)がいました。その親子はなんと、店にあったすべてのミネラルウォーター、10数本を買い占めてしまったのです。
店には1本もミネラルウォーターがなくなってしまいました。
この親子を非難するつもりはありません。
家族の安全のために行ったことでしょう。
しかし、この親子が何人家族なのかは知りませんが、ほんとうに10数本のミネラルウォーターが必要だったのでしょうか?
「奪いあうと足りない、分けあえば足りる」という言葉があります。
非常事態だからこそ、他の人のことも考える心のゆとりがあったら、どんなに良かったかと思います。
残念ながら、この親子の行動は「自己愛」です。
大切な家族を思いやる、これは素晴らしいことなのですが、それによって、他の誰かへの配慮がかけると、それは「自己愛」になってしまうのです。
「自己愛」とは、自分だけでなく、自分と関係の深い、親、子、伴侶も範囲に入るのです。
誰でもやってしまいがちで、難しい問題が「自己愛」なのです。

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