何をしてもよい

何をしてもよい | カレスティア

地元のえびす講に行きました。お宝が光をあびて輝いていました。

魂の浄化を目指してて生きるということは、随分と堅苦しくて、制約が多いと感じている方もいらっしゃるかもしれません。

でも、そんなことはありません。
実は、私たちは「何をしてもよい」のです。

自分で考え、自分で判断し、思い通りに行動する。そして、心の中でどんなことでも思ってもよいという権利が与えられています。ですから、ものすごく素晴らしいことをしてもよいし、極端なことをいえば、最低最悪のことをしてもよいのです。

ただし、その結果は自分で負わなくてはいけません。
誰かに代わってもらうことはできませんし、なかったことにすることもできません。

よくないことをしたり、よくないことを思えば、不都合な結果になります。
愛のある行動や愛を心に抱いていれば、好ましい結果が得られます。

少し難しい言葉になりますが、これを「因果律」といいます。

「因果律」は人ばかりでなく、自然や動物、宇宙にも適応される不滅の法則なのです。この法則から逃れることは宇宙も自然も動物も、富める者も貧しき者も誰もできません。

もしあなたが苦しい状況にあるのなら、それはそれ相応の行動をしたか、心の中で思っていた結果です。

将来を素敵なものにしたいのであれば、愛のある行動をし、心の中に愛を抱き続ければ良いのです。

それを踏まえた上で、いかに生きるべきかを考えると、魂の浄化を目指す生き方は、突如として、楽になるのです。「何をしても良い。しかし、結果は全て自分が負う」このことをいつも心にとどめておいてください。

どうしてこんなに苦しまなくてはいけないの?
そう思った時は、過去にそれ相応のことをしてしまったのかもしれません。スピリチュアルカウンセリングで、指導霊に本質的な原因をたずねてみてはいかがでしょうか。

こちらの記事もよく読まれています
自由意志
人と、人以外の生き物との違い
「因果律」結果の良し悪しは何で決まる?
なぜ因果律があるのか

お読みの「スピリチュアリズム講座 入門編」は連載記事です。
次の記事は、「動機が重要」
1つ前の記事は「自分の魂を傷つける行為」
連載最初の記事は「スピリチュアリズムとは何か」です。
ぜひ続けてお読みください。

コメントを残す