愛を知る

愛を知る | カレスティア

シャクナゲ

魂の浄化のために現世界で「減らしていくこと」の話が続きましたので、今回から、「増やしていくこと」について書いていこうと思います。

今回と次回で「愛に生きる」を解説します。
まずは「愛」とは何かについて。

「そんなこと言われなくても愛くらい知ってるよ」と思った方も多いとは思いますが、私たちが日頃口にしている愛も、文学で語られている愛も、そのほとんどは「愛情」であって、霊的真理の「愛」とは別のものです。

では、愛情と愛の違いをいくつか例をあげながら、説明したいと思います。

例)子供の可能性を広げてあげたいと思い、学習塾や習い事に通わせています(ここまでは愛です)。将来は資格を持って、安定した生活できるようにしてあげたいと思っています。(これは愛情です)

解説)自分の価値観を子供に押しつけていて、親切の押し売りになっています。子供は本当に資格を持つような職業に就きたいと思っているのでしょうか。

例)家族のために心を込めて料理を作りました(ここまでは愛です)。しかし、家族からの受けが悪くがっかりしてしまいました。(これも愛情です)

解説)誰かを喜ばせたいと思って何かをしても、その反応が思わしくなかった時にがっかりしてしまうようでは「愛」ではなく、「愛情」です。もう少し詳しくいうと、愛の中に自分を満足させたいという欲求が潜んでいるのが「愛情」です。

つまり、誰かのためを思って何かをしても、そこに自分の価値基準が入っていたり、自己満足の要素があったり、見返りを期待していたとしたら、それらは全て「愛情」なのです。

それに対し「愛」とは、純粋に相手のことだけを思ってする行為です。感謝の言葉がなくてもがっかりしませんし、そもそも期待していません。

そして意外かもしれませんが、手をださずにじっと我慢することも「愛」なのです。

このタイミングで手を出してしまっては、その人の気づきを奪うことになってしまうかもしれない。そんなときに、じっと忍耐するのが「愛」なのです。
もちろん、転ばぬ先の杖となって、あれこれと手を出してしまうのは「愛情」です。

「愛情」と「愛」の違い、わかっていただけましたでしょうか。

この記事の続き、「隣人愛」をお読みください。

本物の愛がわからなくなって苦しんでいますか?
そういうときは、指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。


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