おせっかいと「自己愛」

おせっかいと自己愛・ひまわり
今日も暑いですね。
日差しが強すぎて、いのちの危険すら感じそうです。笑

さて、今日も「自己愛」について、例をあげて書かせていただきます。
「自己愛」の対極にある言葉は「隣人愛」です。

あなたの周りに「親切な人」はいますか?
困っている人を放っておかず、親身になって動いてくれる。そんな人です。
では、あなたの周りに「おせっかいな人」はいますか?
色々とやってくれるのはいいのですが、こちらが望んでいないこともあれこれ世話をやいてくれて、思わず苦笑してしまうような人です。
・・・?
「親切な人」と「おせっかいな人」は、何が違うのでしょうか?
どちらも当の本人にとっては、「人のため」と思って、行動しているはずです。
「親切」と「おせっかい」は紙一重なのでしょうか?
いいえ、違います。
「親切な人」は、相手のことを真剣に考え、相手が本当に望むことだけをします。
相手が必要としないことはしません。
そして、相手が経験しなければいけない困難には、あえて援助をしません。
近くで見守って、必要な時がきたら、そっと手を差し伸べてくれます。
一段高いところから、辛抱強く、そしてたくさんの愛をもって、見守っていてくれているのです。
「おせっかいな人」は、自分だったら、こんな時にこうして欲しいだろうな。こうしてもらえるとうれしい。そう考えています。
ボランティア精神はたっぷりあるのですが、相手の立場に立って考えるというスタンスには欠けています。
そして、転ばぬ先の杖になろうとします。
「困難=あってならないこと」と思っています。すべての困難を払拭しようとします。
辛いこと、困難がないこと、それが、幸せだと信じています。
実は、「おせっかい」は「自己愛」なのです。
視点や価値観が、すべて「自分」にあるからです。
どこまでも相手の立場で考え、高みで見守り、辛抱強くあること。
これが本当の「隣人愛」なのです。
「自己愛」には、言葉から感じる事とは、だいぶ違うものも含まれています。
家族や友人に援助をする前に、それが本当に「隣人愛」なのか、それとも「自己愛」なのか、ちょっと考えてから行動できるといいですね。

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