職場や学校、ママ友といった集団は必ずしも良い人たちばかりとは限りません。影で悪口を言う人、嫌がらせをする人、そういった人はどこにでもいるものです。
では、そういった人から嫌がらせを受けてしまった時には、どうしたら良いのでしょうか。
聖書には「汝の敵を愛せ」という言葉がたびたび出てきます。
しかし、自分を敵視する憎い人を愛するなんて、とてもできそうにもありません。もちろん、本来そうすべきなのでしょうが、できないからこそ苦しいのです。
そこで、提案なのですが、イエス様の言葉を少し拡大解釈してみてはいかがでしょうか。
まずは、敵を愛するとは「敵を赦(ゆる)す」ととらえる。
ここで大切なのは「許す」ではなく、「赦す」だということです。
「許す」とはわかりやすくいうと、いたずらをした子供に、「もうしません」と約束をさせて、ゆるすことです。そこには「もうしない」という条件がついています。
それに対して「赦す」は、「もうしません」という条件を求めずにゆるすことです。
これは考えようによってはとてもラクです。なぜかというと、嫌な人と話し合いなんてしたくないし、そもそも、話し合ってわかるような人物じゃないから、嫌がらせをしてくるのです。だからこそ「一方的に赦してしまう」のです。
そしてさらに、相手の悪意に対して、「愛の祈りで返します」。
どんなに怒りがこみ上げてきても、こちらも負けじと仕返しをしてはいけません。そんなことをしてしまうと、相手と同じ低いレベルまで、自らを落とすことになってしまいます。
悪意を感じとった時には、心を少しだけ落ち着かせて、ごくわずかな時間でよいので、相手の心の平安を祈ります。そして、相手のカサカサとした心が穏やかになっていく様子を想像するのです。
「赦す」「愛の祈りで返す」たったこれだけです。
これだって十分に「汝の敵を愛す」行為ではないでしょうか。
嫌がらせにおびえたり、憤りを感じていた自分も気がつくと、いつの間にか心が軽くなって、本当の意味で「汝の敵を愛せた」と思える瞬間が訪れることでしょう。
なぜ、私に嫌がらせをするのだろうか?
そう悩んだときは、スピリチュアルカウンセリングで、嫌がらせの理由と解決方法を指導霊に尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。
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