自分は正しい「宗教の功罪」

自分は正しい「宗教の功罪」

朝露が鏡のように輝いていました

宗教とは本来、魂の救済であり、神の真理を伝えるものです。

しかし長い年月にわたって、人々を介して伝えられていく際に、たくさんの汚れのようなものを身にまとってしまいます。どんなに純粋なものであっても、神界とは異なる現世界特有のことで、ある程度は仕方のないことかもしれません。

そういったものの一つに「自分は正しい、相手が間違っている」という考えがあります。

この考えを分解してみてみましょう。
「自分の宗教で言っていることが正義である」
・・・よく考えて欲しいのですが、その出典は聖書やコーラン、仏書ですか?
もしかしたら、牧師やラビ(教師)が言っていることを鵜呑みにしているのではありませんか?
神は本当にそう言っていますか?

「相手が間違っている」
・・・相手が本当に言いたいことを理解しようとしていますか?表面的なことだけをとらえて、その奥にある考えや相手の立場まで、理解する努力をしていますか?

「自分は正しい、相手が間違っている」という考えを続けていては、いつまでたっても平行線です。お互いを理解し、尊重することなんて、いつまでたってもできません。
この考えを手放すことができず、人類は有史以前から、現在に至るまでいさかいを続けています。

日本だって例外ではありません。何もない穏やかな時には表面に現れませんが、ひとたび、問題が発生すれば、この考えが頭角を現し、牙をむきます。
相手をやり込めることを神は望んでいません。あくまでも自分と向き合うことを望んでいるはずです。

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