どうしたら隣人愛に生きられるのか?

隣人愛・栗といが
すっかり涼しくなってしまいましたね。
今朝、庭を歩いていたら、いがと一緒に、大粒の栗が落ちているのを見つけました。

もうすっかり、秋なのでしょうか?
気持ち的にはまだまだ夏なのに、早すぎます。笑

さて、今日の話題は「どうしたら隣人愛に生きられるのか?」です。

「隣人愛」とは、人としての究極の生き方であり、永遠の目標だと、私は思います。

しかしながら、隣人愛は簡単なようで、とても難しいと、あらためて感じることが多いです。
でもだからといって、手をこまねいているわけにはいきません。
どうしたら良いのでしょうか?

私は、私なりの一つの道筋を見つけています。
それは、「自己愛と世間愛を捨てること」です。

隣人愛に真っ向から対立するのが、「自己愛」と「世間愛」です。

人を大きな器とたとえるなら、この器の中は、すでにいっぱいで、飽和状態です。
もうこれ以上なにも入れることはできません。
だから、不要な「自己愛」と「世間愛」を一つずつ、捨てていくのです。
この捨てる努力をいつも続けていくことによって、あいたスペースに「隣人愛」が入っていくのではないか、と思っています。

何かが欲しいと思うのなら、まずは手放すこと。
それも、欲しい物に対立する汚いものを捨てること。
まずすべきことは、これではないでしょうか。

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