カテゴリー別アーカイブ: 霊格・霊性

格付け

ハナミズキ

人を自分より上か、それとも下かの格付けをするクセがついているとしたら、それは無意味なことです。

世の中には横柄(おうへい)なものの言い方や態度をとる人がいます。
たとえば、
・店員さんに上から目線で話す人
・出入りの業者さんにぶっきらぼうな人
・コールセンターに苦情を言い続ける人

では、そういった人は誰に対してもそうしているのでしょうか?

もちろんそうではありません。
上司や地位の高い人には、ちゃんとした言葉使い、いやむしろ丁寧で、嫌味は絶対に言いません。

では、彼らの思考にはどういったメカニズムが働いているのでしょうか?

それは、相手を見た瞬間に「自分より下か」「自分より上か」の格付け機能をフル回転させて、「自分より下」と判断したら、横柄に話して優越感を味わっているのです。

しかし、
店員さんがうやうやしく接してくれるのは、商品を買ってほしいから
業者さんが腰が低いのはあなたに対してではなく、あなたを雇っている会社への敬意
コールセンターが謝り続けるのは、早く電話を切ってほしいからです
勘違いもはなはだしいですね。

こういった人は、職業や服装、外見を格付けの基準にしていますが、格付けの基準を霊格にしたら、いったいどういうことがおこるのでしょうか?

自分より下だと思っている相手が、本当は自分よりもはるかに上、ということも十分にあり得ます。

ああ、少し誤解を招きかねない表現をしてしまいました。
実は霊格が上か、下かを論ずることには意味がないのです。

地球に生きる人は例外なく全員が、霊格の向上を願ってこの世に生まれてきました。

霊格を階段のようなものだとすると、霊格が下の人は、自分が過去生で歩んできた道のりです。だから、霊格の下の人を見下すことは過去の自分をあざ笑うのと同じこと。
霊格が上の人はこれから自分が行こうとしている、少し先を歩いている人です。だから、霊格が上の人をうらやんだとしても、いずれ自分もそうなれるのです。

どうでしょうか。
人を自分より上か下かを判断することが、本当に意味がなく、バカらしいことだと思っていただけましたでしょうか。

格付けにこだわるのは、猿山のお猿さんがやることであって、人がやることではないのです。

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スピリットが放つ光

マンリョウ

マンリョウ

今日はスピリットと光について書きます。

実はスピリットは、みずから光を放っているのです。意外だったでしょうか。

光ときくと、多くの方は、懐中電灯や太陽の光を思い浮かべると思います。これらの光を直接見るとまぶしさを感じます。しかし、スピリットが放つ光は直接見ても、まぶしくはありません。

また、照明のように、闇を照らすということもありません。
さらにいうと、スピリットが放つ光には明るさだけではなく、暗さもあります。光と暗さは反対の意味ですから、矛盾を感じると思いますが、暗さを放っているとしかいいようがないのです。

このように、スピリットの光については、私たちが住む世界ではうまく表現をする方法がなく、私たちが知っているどの光とも違います。

また、スピリットが放つ光には、強い、弱いがあります。
あるスピリットが放つ光はとても強く明るいのに対し、他のスピリットが放つ光はそうでもありません。もちろん光の強さは、強弱の2段階ではなく、無段階です。

またこの強弱は暗さにも同じことが言えます。ほのかな暗さから、漆黒まで無段階にあります。

ただし、光の強弱は絶対的なものではありません。

たとえばAさんとBさんが同じスピリットを見たときに、Aさんは「かなり明るい」と感じたのに、Bさんは「かすかな明るさ」と感じることがあります。

光の強弱は、見ている人を基準にした主観的なものなのです。

見ている人よりもスピリットの霊格が高い場合は明るく感じ、見ている人と同じくらいの霊格だと、かすかな明かりと感じます。そして、見ている人よりも霊格が低い場合は、暗いと感じるのです。

さて、スピリットが放つ光の正体はなんでしょうか。これは一言で言うと「愛」なのです。

以前、このブログで、霊界には夜がなく、ずっと昼間であるということ、四季がなくいつも暖かく過ごしやすいこと、しかし、スピリットが後ろ向きな気持ちになると冬のような寒さが訪れるということを書きました。

これらの現象が起きるのは、霊界における光の正体は、神から届けられる愛だからです。

この愛に対してどのくらい向き合っているかが、霊界のそれぞれ界の明るさや温度となって反映されるのです。ひたすら神に向かっている天界や霊界での高い層はまぶしいくらいの明るさに包まれています。
そこそこ愛と向き合っている界は、私たちが住む世界の昼間と同じくらいの明るさです。一方、後ろめたい気持ちの人や悪い事を好むスピリットたちは愛とほとんど向き合っていませんので、彼らが住む界はうす暗く、まるで夕方のようです。

霊界を照らす光は神からのものであり、それをどれくらい受け取るかはスピリット側の問題なのです。

一方、スピリット自身が放つ光は、スピリットの愛の反映なのです。

強く明るい光は、愛、特に隣人愛にあふれている証拠。
そして、暗さを放つスピリットは、隣人愛の反対側、つまり自己愛にあふれている証拠なのです。

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徳を積む

徳を積む | カレスティア

梅の花が次々と咲き出しました

日常の会話の中に「徳を積む」という表現があります。

過去生で良い行いをしてきたから、今世で恵まれた環境にあるとか、今世でたくさんの良い行いをすれば他界後、良い界へ行けるとか、そういった意味合いで使う言葉です。

私は「徳を積む」という言葉を聞くたびに、ある映画のワンシーンを思い出します。
それは、キアヌ・リーブス主演の「コンスタンティン」という映画です。

主人公は生まれた時から霊を見る力が備わっていて、それがゆえに悩み、自殺未遂をしたことがあります。カソリック信者である彼にとって自殺は大罪であり、地獄行きが約束されたようなもの。それをあらがうために彼は自身の能力を活かして、悪魔祓いを続けています。

そして「俺はたくさんの人々を悪魔から救ってきた。だから天国に行けるだろう?」と天使に同意を求めます。

しかし天使は「あなたは何もわかっていない」と答えます。そして、「神から授かった能力を自分本位に使っているに過ぎない」と続けます。
映画では、天使は何がわかっていないのかについては、深く言及していません。

天使はどのような気持ちで言ったかを私なりに解釈すると・・・。

霊界でより高い界に行けるかどうかは、霊格で決まります。
霊格は、善行をいくつしたという数の多さではありません。日々の生活の中で、清らかな心であること、愛に満ちあふれた状態であり続けることがおのずと、その人の霊格になります。
ましてや善行とお望みの結果は、交換されるものでも、取引されるものでもありません。
そういった気持ちを持っていること自体が、見返りを期待していて、善行とはすでに言えないのです。

といったところでしょうか。

映画はさておき、「徳を積む」という感覚を持ち続けている限り、霊格の向上や魂の浄化とは、かけ離れているのかもしれませんね。

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