ドッペルゲンガー

みなさんの中に「あなたを昨日、あそこで見たよ」と言われたのに、その時間は別のところにいたとか、自分自身をまるで第三者のように見た、という経験をお持ちの方はいらっしゃるでしょうか?

これらは「ドッペルゲンガー」と呼ばれている現象です。実はこの現象は、霊的にも説明ができるのです。

そして「違うところで見られた」と「自分を見た」というのは、霊的には別の理由によるものです。

まず、「違うところで見られた」について説明します。

この経験をされた方は当時のことを思い出してほしいのですが、あなたを見たという人は、その時、あなたに話しかけていないはずです。そして、あなたを触ってもいないはずです。

これは、どういう時に起きるのでしょうか。

人は思いをはせると、場所の場合はその場所まで、人を思った場合はその人のところまで、オーラが伸びていきます。

しかし通常、オーラを人に見られることはありません。しかし、家族やとても親しい人の場合は、あなたの波長を記憶しているので、同じ波長を感じた時に、まるであなたがそこにいるかのような錯覚を起すのです。

見ていた人の近くにいるのはあくまでもオーラですので、会話をすることはできませんし、触ることもできません。もし話しかけたり、触ろうと試みると、それが「気のせい」であると認識するはずです。

これが「違うところで見られた」というメカニズムです。

では「自分を見た」はどういうことなのでしょうか。

これは簡単に言うと、「幽体離脱」です。

人は眠りにつくと、意識が遠のき、意識体(魂)が体の中から出てきます。ほとんどの場合、意識体は霊界や行きたい場所、会いたい人の所へと移動するのですが、体から出た瞬間にふと振り返ることがあります。その時、自分が寝ている姿を見てしまうのです。

また、幼い子供や児童に限定されますが、自分が歩いている姿を見たという経験がある方もいます。

子供は少し前までは霊界の住人でしたので、条件がいくつかそろうと、起きているのに意識体が肉体から離れてしまうことがあります。そういった時に、自分を見てしまうのです。

いかがでしたでしょうか。
不思議な現象の中には、霊的に説明できるものも存在しているのです。

不思議ない体験をしたけれども、それには意味があるのかな?
そう思った方は、スピリチュアルカウンセリングで、指導霊に質問をしみてはいかがでしょうか。
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