カテゴリー別アーカイブ: 隣人愛

相手を理解する努力

梅のつぼみ

梅のつぼみがふくらんできました

今日のブログは、「相手を理解しようとする努力」が大切、ということについて書きます。

私たちは、人里離れたところで独りで生活をしているのでもない限り、人との接触やコミュニケーションは避けて通れません。

コミュニケーションと聞くと、「私は話し下手だから…」と消極的な気持ちになる方もいらっしゃると思います。しかし、コミュニケーションは話すことだけではありません。このブログでも以前ご紹介した通り、コミュニケーションとは自分の思いを相手に伝えること。そして、相手の話をよく聞き、表情や仕草、伝わってくる雰囲気など、言葉では表現されていない、さまざまな事柄も五感を総動員して、相手の立場や思いを理解すること。この両方ができて初めて、コミュニケーションが成立したといえるのです。決して、自分の言いたいことだけを饒舌(じょうぜつ)に語ることではありません。

実はこの「相手を理解しようとする努力」は、現世界だからこそ、できる体験の一つなのです。

霊界にいるスピリットには、意識体(魂)を覆う肉体がありません。意識体がむき出しの状態ですから、相手の思っていることは手に取るように分かります。そのため霊界では、相手を知ろうという努力が不要です。

一方、現世界は意識体が肉体で覆われているので、相手が何を思っているかはよくわかりません。だからこそ、「相手を理解しようとする努力」が必要になってくるのです。

ではなぜ、そんなまどろっこしいことを私たちは体験しているのでしょうか。

それは、相手を理解する努力を怠ると、人はどうしても自分中心に考え、自分が有利に、得になることばかり考えるようになります。そして、相手のことを思いやる気持ち(隣人愛)から遠のいていってしまいます。

つまり、「相手を理解しようとする努力」は隣人愛への第一歩なのです。

大切な人と会うとき、苦手な人と会うとき、重要な話をするときは、「相手を理解する努力ができますように」と、ひそかに心の中でお祈りをしてから、会話を始めるといいかもしれません。

「人の気持ちがわからない」
そんなときは、スピリチュアルカウンセリング で、ご自身の指導霊からどうしたら良いかを尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

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どうしたら隣人愛に生きられるのか?

「隣人愛」自分のものさしをもたない

お花が咲いてないかな?と、庭を歩いてみたのですが、不思議とこの時期、あまり咲いていないんですね。
しかし、やっと見つけました。チェリーセージです。

隣人愛自分のものさしを持たない

クラリセージはハーブで有名ですが、このチェリーセージは、花も葉も特に香りがしませんでした。
同じセージでも、色いろあるんですね。

「隣人愛」で、まず行うべきことは、「自己愛」と「世間愛」を捨てることだと、前々回のブログに書かせていただきました。

これは簡単にいうと、愛を注ぐ人が「自己の利益を求めてはいけない」「自分のエゴを入れてはいけない」。(自己愛)
そして、手をさしのべることによって、ひとから「いい人」と思われることを期待してはいけないということでした。(世間愛)。

今日は、心がけていただくといいなあ、と思うことを書かせていただきます。
それは、「自分のものさしをもたない」ということです。

どうしても、ひとを見ると、「もっとこうだったらいいのに」、「あと一息なにの残念だなあ」なんて、判断していませんか?
それも上から目線で。笑

こうなると何かをしても「隣人愛」というよりも、「施(ほどこ)し」になってしまうと思うのです。

ひとのどんな姿を見ても、どんなことに気がついても、「ふ〜ん、そうなんだあ」と、ありのままを受け入れる。
批判も、判断もしない。

これって、大切な事だと思うのです。

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「隣人愛」 隣人とはどこまでを指す?

昨日は十五夜でしたね。
曇りがちでしたが、ときおり雲の間から満月が顔をのぞかせてくれました。
子供の頃は、ススキとお団子をおそなえしましたが、今ではすっかりやらなくなってしまいました。
来年はやってみようかな。

隣人愛で隣人とはどこまでを指す?

 

主はおっしゃいました。
「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と。

もちろん、その通りです。
では、隣人とはいったいどこまでを指すのでしょうか?

犯罪者?自分に敵対する人?自分に悪意のある人、そんな人までも?
ちょっと極端でしたが、私にはとても無理です。笑

これらの人々も自分を愛するように愛すべきなのでしょうが、それができるのは、霊性を相当上げた人だけがはじめて、できることだと思います。
自分の霊性をあげないで、これらの人を愛そうとすると、思わぬしっぺ返しにあってしまうのではないでしょうか。

私が考える隣人とは、「自分の霊性レベルにあった範囲内」のことだと思っています。だから、ひとりひとり、隣人の範囲が違うと思うのです。

自分の霊性レベルを客観的に判断できる人はなかなかいませんから、まずは、「身内・家族」を隣人の範囲として、スタートしてはいかがでしょうか。つまり、父、母、兄弟姉妹、伴侶、子供です。
厳密にいうと、身内や家族は隣人ではありませんが、これらの人たちとの愛ができていないのに、他人である隣人を愛することはできないと思います。

では、どうしたら良いのか?

身内・家族に自分のエゴ、つまり自己愛や世間愛をいれることなく、身内・家族のありのままを受け入れ、理解し、愛することです。
やってみると意外に難しいことが分かると思います。

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