テレビやネットのニュースを見ると「物を盗まれた」「暴力で被害にあった」という、情報にあふれかえっています。この種の話題が全く出ないという日はおそらくないと思います。殺伐(さつばつ)とした話ばかりで、本当にいやになりますよね。
ところで、罪を犯した者をとらえたり、刑罰を与えることは、霊的真理からみると「愛に反する行為」なのでしょうか。
難しい問題ではありますが、霊的真理に関心をもち始めた人たちのほぼ全員が一度は考えることだと思います。今日はこのことについて考察します。
実は「霊界には警察、裁判、刑罰、法律のいずれも存在しない」と言ったら、驚くでしょうか。
それはなぜかというと、罪を犯した者や疑いのあるものを捕まえる、拘束するというのは肉体があるからこそできることなのです。スピリットには肉体がありませんので、手錠をかけることも、牢屋に閉じ込めておくこともできません。もし仮に鍵のかかった部屋にスピリットを入れても、壁をすり抜けてどこかに行ってしまいます。このようなわけで、犯罪者をつかまえる警察に相当する組織は霊界に存在しません。
また同じくスピリットには肉体がありませんので、たたいて苦痛を与えることができません。また、命は永遠なので、命を奪う極刑も執行できません。よって、刑罰も存在しません。
さらに、霊界には法律が存在しません。
少し説明します。
霊界は似た者同士が集まる「親和性の法則」がとても強く働いています。その結果、人が大切にしている物を奪うことに快感を感じる者は、同じ趣向のどろぼうたちが集まって社会を形成しています。人をだますことに生きがいを感じる者は、同じような考え方の詐欺師たちが集まって暮らしています。
そういった社会の住人たちは、被害を受けたからといって、思い悩み、悲しむことはありません。盗まれたら、じたんだを踏んで悔しがりますが、次の瞬間に「盗んだやつから何を盗んでやろうか」と悪だくみを考えています。お互いにやったり、やられたり、きゃあきゃあと騒ぎながら、毎日を楽しく過ごしているのです。
このように霊界には、悪者と被害者という二極化した安定的な構造が成立しません。スピリットの行動を規制したり、保護する必要もないので、法律がないのです。
警察、裁判、刑罰、法律は、肉体を持ち、異なる価値観の者たちが一緒に暮らす地球だからこそ存在するものなのです。
では質問の原点に立ち返ります。犯罪を犯した者をとらえたり、刑罰を与えることは愛に反する行為なのでしょうか。
もちろん「愛に反する行為」です。
しかし刑罰は犯罪の抑止力になっています。これは事実です。もし刑罰がなかったら、地球はもっとひどいことになってしまうでしょう。
では霊界はこのことをどうみているのでしょうか。
霊界は評価対象外としています。
地球に再生している魂は、霊的真理にそった生き方がまだできない未熟者。愛を理解し、愛に生きることはさらに困難です。そういった者たちが、犯罪を犯した者をとらえ、罰を与えているのですから「同じ穴のむじな」、霊界は良いとも悪いとも判断すらしていないのです。
「自分のしたことは愛に反する行為だろうか?」
そう思い悩んでいることがあるのなら、スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。
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