愛を与えつくす

ミョウガ

「愛を与えつくす」と聞くと、自分のもちうる限りの能力と時間を他人のためにささげ、見返りを一切期待しないという印象を持つと思います。そしてその行為は尊く、美談ととらえる方も多いと思います。

しかし、霊的真理からいうと、与えつくしはあまり良いことではありません。

そう聞くと「隣人愛に生きることの一体何が悪いの!」といきどおりを感じる方もいらっしゃるかもしれません。では「愛を与えつくす」ことにどんな問題があるのか、わかりやすいように例をあげて説明します。

私のお客さまに、過去生で看護師として働き、老齢になっても職場を離れず、ひたすら患者のためにつくした人がいました。そしてその看護師は深い満足のもと、多くの方に惜しまれながら、この世を去りました。

しかし再びこの世に生まれたときに、この元看護師は生まれつきの障碍(しょうがい)をもっていて、衣食住の全てを誰かに助けてもら必要がある状態でした。

「霊界から制裁を受けたの?」と思った方がいらっしゃるとしたら、それは違います。「なんと理不尽な!」と怒りを感じたのであれば、もっと違います。

彼女は自分の意志で障碍のある体を選んだのです。

彼女は他界後、愛を与えることはとても素晴らしいことだが、それと同じくらい愛を受け取ることも大切だということを知ったのです。

彼女は看護師時代の晩年、長年の労働のせいで、膝や関節に痛みを感じるようになりました。その様子ははたから見てもわかるほどでした。心配した後輩の看護師が「お手伝いします」と手を差し伸べても「いいえ自分でできます」と申し出を全て断っていました。

彼女は「自分は助けをする人であり、助けられる人ではない」という姿勢を貫いたのです。

人への奉仕というのは、ややもすると一方通行に与えるばかりだと勘違いをしがちです。特にこういった考え方は、奉仕を最善とするキリスト教徒に顕著にみられます。

霊的真理からみると、後輩の看護師から手を差し伸べられたときにそれをはねのけるのではなく、助けを快く受け入れ、喜びを感じ、心から感謝することも大切だったのです。かたくなな彼女の考え方には問題がありました。

愛は与えることも、受け取ることも、どちらも同じくらい大切です。どちらかに傾くことなく、バランスをとることが重要です。

バランスが取れることにより、愛を与え、それを喜んでくれている人の笑顔も見られて、愛を受け取って、与えてくれた人に笑顔を見せることができるのです。

元看護師の彼女は、与えるばかりだったことによって、受け取る喜びが理解できていませんでした。そのため今世では、ただひたすら受け取るばかりの立場になって、過去生でのアンバランスを現世で戻そうとしているのです。

「今の境遇は過去生からのやり直しなの?」
と感じている方はスピリチュアルカウンセリングでご自身の指導霊に尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。


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