「因果律」選択の時のクセ

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おはようございます。

今日は朝から雨が降っています。
穏やかな雨で、一日中降りそうな気配です。

さて、今日の写真は「オオデマリ」という、高さ2mくらいの木になっている白くてかわいらしい花です。
カレスティアの庭の木が生い茂った、半日陰のところで咲いています。
アジサイに似ているのですが、スイカズラの仲間だそうです。

今日も引き続き、「因果律」について、書かせていただきます。

因果律とは簡単に言うと、「◯◯したから、☆☆になった」ということです。

私たちは日々の暮らしの中で、この◯◯という選択を無意識、有意識でたくさん行っています。

前回のブログでは、
選択を無意識ではなく、有意識で行なおう。
特定のパターンで、特有の選択の「クセ」があることに気づこう。
と、書かせていただきました。

では、特有の「クセ」とは、どういったものでしょうか?
例をあげるとこのようなことです

周りの人を自分より上か、下か、順位付けをすることが習慣となっていて、物事が発生したとき、その順位に応じた対応をする。
人に見られている、見られていないかを瞬時に判断し、それによって、選択が変わる。
自分が矢面に立つ事を避けるような選択を常にする。

どうですか?これはあくまでも例ですが、こんな選択の「クセ」はありませんか?
この「クセ」こそが、実は前世から積み重ねてきたことなのです。

このようなことは、一朝一夕で、できあがるものではありません。
前世から、延々と繰り返し、今生でも行っていることなのです。

さて、例であげたこれらの「クセ」。
良いものでしょうか?
それとも良くないものでしょうか?

答えは簡単ですね。

因果律のもととなる、原因。
つまり、「◯◯」に特定パターンで、良くない選択をする「クセ」を見つけることができたら、それが、前世から何回も失敗してきた、大きな課題を見つけたことになるのです。

「クセ」を見つけることができたら、あとは簡単です。
日々の選択を有意識で行い、「クセ」と合致するパターンの場合は、良く考えて、慎重に、そして一番良い選択をすることです。

良い、悪いの判断は「隣人愛」or「自己愛」「世間愛」です。
そうすることによって、一歩前進することができ、因果律での「結果」も、より望むものとなるのです。

次回は、「因果律」の結果はいつ出るか?について書かせていただこうと思います。

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