魂の浄化に本格的に取り組みだした時、最初にやってくる関門は「他人との比較」かもしれません。
霊的真理が少しずつわかるようになってきて、魂の浄化のための葛藤が始まると、自分が随分と成長したかのような錯覚に陥ります。そして、「自分はすごい」とうぬぼれるようになります。そして、つまずき苦しんでいる人を見ると「君はまだまだだなあ」だなんて、見下すようになってしまいます。
これは「絶対にしてはいけないこと」です。
他人を見下すと、魂に偏見や虚栄心、うぬぼれといった汚れの膜をつけてしまいます。つまり、魂を清めながら、汚しているのと同じなのです。
この世に生を受けているということは、すなわち、過去生で失敗をしたか、やり残しをしてきたという証拠。どんなに立派に見える人でも、そうでない人も、つまるところ大してかわりはないのです。
自分が難なくできることを他の人が苦しんでいる姿を見たとしても、嗤(わら)ってはいけません。自分も過去生で同じように苦しみ、もがいてきたのです。他人を嗤うということは、自分が立ち向かってきた姿を嗤うことなのです。
・・・嗤う(ばかにした気持ちであざけること)
同じ理由で、人と自分を比較して、自分はダメなんだと、過小評価をしてはいけません。
自分で自分を見限ってしまって、一体どうするのですか。現世界に生まれてきたチャンスを放棄するのですか。「自分ならできる」と、信じることが何より大切です。
人はそれぞれ個別の課題を持って現世界に生まれてきています。
難なくできていることは、その人にとっての課題ではないのです。
うまくいかない、苦しいと感じることの中にこそ、課題があるのです。
他人と自分を比較しても何も始まらないし、意味のないことです。謙虚な気持ちで、自分と真摯に向き合うことが大切なのです。
「だめだとわかっていても、どうしても自分を過小評価してしまう」
それには原因があるのかもしれません。スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。
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