魂の浄化において清貧は必要か

魂の浄化において清貧は必要か | カレスティア

寒い日が続いていますが、暖炉の火を眺めているとほっとします

神から愛されるためには「清貧であることが不可欠」という考え方があります。
特にキリスト教の牧師たちからは、この種の言葉が発せられることが多く、スピリチュアル系の書物(スピリチュアリズムではありません)でも、ときおり見かけることがあります。

しかし、これって本当なのでしょうか?

「清貧」という言葉ですぐ思い浮かぶのが、マザーテレサです。確かに彼女は偉大な方です。
生涯を貧しい人々への奉仕に捧げ、彼女が他界した時に個人の持ち物といえるのはロザリオだけでした。彼女は他界と同時に天使になったと聞かされても、疑う余地もありません。

しかし、多くの人に彼女のような生き方を求めるのはあまりにも酷だと、私は思うのです。

さらにいうと、貧しさには多くの落とし穴があります。

自分の生活がおびやかされるほど困窮すると、どうしても自分中心に考えてしまいます。他人に奉仕しようという高尚な気持ちはどこかにいってしまい、生きることだけで精一杯になります。そしてむしろ、人々の好意にすがるような生き方にならざるを得なくなります。

私は「魂の浄化」と「清貧」さには、相関関係がないと考えています。
むしろ「貧しいよりも豊かな方が良い。そしてその豊かさを活用した生き方のほうがもっと良い。」と思っています。

詳しくいうと、勤勉さはとても大切です。しかし、自分や家族のためや豊かになるために働いてはいけません。それは自己愛です。お客様に喜んでもらいたいという一心で働き、その結果として、豊かになるのが理想です。
そして、手に入れたお金をひたすら貯金して他界してしまったり、自分と家族が幸せを感じるためだけに使うのはいけません。苦境に立たされている人を支援をしたり、人々が笑顔になるためにお金を使おうという心がけをいつも持ち続けることが大切です。お金にも役割というものがあるのです。

困難な清貧さを求めるよりも、むしろこの考え方のほうがずっと現実的で、魂の霊的成長に貢献できるのではと思います。

事実、天使に近いくらいの高級霊の中には、生前裕福な生活を送ったスピリットが少なくありません。

私たちは他人との関わりをもち、どのように考え行動できるかを問うために現世界に生まれてきました。つまり、生涯を通して、たくさんの人たちに貢献することが大切なのです。そこには、貧しさに歯をくいしばるようなストイックさはあまり意味がないのではと私は思います。

「なぜ、いつも生活に余裕がないのだろうか?」
このような悩みをお持ちでしたら、スピリチュアルカウンセリングでご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。問題点を指摘し、具体的な解決策を教えてもらえると思います。
詳しくはホームページをご覧ください。

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