日常の中にこそ、課題が潜んでいる

今日は人生の課題というのは、特別なことではなく、生き方のクセと向き合うものだということ。そして生き方のクセは、日々の生活の中に現れているということをお伝えします。

人は物事がうまくいかないときは「どうしてなんだろう」と立ち止まり、悩みます。そして「もしかしたら自分に原因があるのではないか」と考え、自分の間違いに気づくこともできます。

しかし、毎日うまくいかない、毎日問題が発生するというわけではありません。いやむしろ、何でもない普通の日々の方が圧倒的に多いものです。人は同じことを繰り返していると、思考が停止し、惰性で行うようになります。そういった日々の生活の中にこそ、生き方のクセが発動して、問題の火種をまき散らしているのです。

例をいくつか挙げてみましょう。

Aさんは、いつも通りに仕事をして、なんの問題もなく、家に帰りました。いつもと同じ一日でした。しかし、中身をよく見ると問題があります。

Aさんはパソコンにデータを入力する仕事をしていたのですが、入力ミスをしていました。それを同僚がそっと直しておいてくれたのです。

同僚は「そこは違いますよ。本当はこうやるんですよ」と言いたかったのですが、間違いを指摘すると「わたしは合っている、こう教わった」と言って、むくれてしまうのが目に見えているので、同僚は何も言わずにデータを直してくれました。

Aさんは、自分の間違いを素直に受け入れる、非を認めるということができない性格だったのです。だから周囲の人が波風を立てないようにうまく立ち回ってくれていたのです。

次の例を挙げます。

Bさんは仕事から帰り、食事をして、テレビを見て、時間になったから寝るという、ごく普通の一日を過ごしました。しかし、中身をよく見ると問題があります。

Bさんは夕食の時、黙々と食べて「ごちそうさま」とだけ言って席を立っていました。

Bさんのパートナーは、日中買い物に出て、安全な食材を選んで、おいしく食べてもらいたいという思いを込めて料理をしていました。「おいしいね」と言ってくれたら、どんなに報われた気持ちになることでしょう。さらに「どうやって作ったの」と尋ねてくれたら、調理の仕方に話が咲いたのかもしれません。

しかしBさんは、うまいでもない、まずいでもない、ただ黙って食べるのが日課になっていました。「料理はおいしい?」と尋ねると、機嫌を損ねるか文句を言われるのが関の山なので、パートナーは何も言わなくなっていたのです。

Bさんの課題は「感謝が足りない」ことです。何かをしてくれたことの背景には人の思いが込められている、そういったことに無頓着に過ごすクセがあったのです。

次の例を挙げます。

Cさんには子供がいます。親の目から見るとどうも危なっかしく見えるし、大切な我が子につらい思いをさせたくありません。そのため、Cさんは「そういうことをしていると、こういうことになるよ」と我が子をさとすことがよくあります。

すると子供は「うん、わかった」と言ってくれます。「素直な良い子に育ってくれたな」と、Cさんはうれしく思っています。しかし、中身をよく見ると問題があります。

Cさんのお子さんは「親が言っているのだから、きっとそうなんだろう」と、自分で考えることをしなくなっています。さらに、失敗をするという貴重な体験を奪うことにもなっていました。

親としてアドバイスは当然のように思えますが、度を過ぎると決して良いとは言えません。Cさんが良かれと思って言い続けていた言葉の数々が、子供の人生をコントロールしていたのです。

いかがだったでしょうか。人生の課題というのは、普段の生活の中でクセとなって現れているのです。

とりたてて何もない日常だからこそ、冷静に見つめて、自分がおかしなことをしていないか、チェックしたいものですね。

「自分は課題となるような生き方のクセに気がついているのだろうか」
そう思った時はスピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。


スピリチュアルブログをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメントを残す