今日は「世間愛」とはどういうものを指すのかを具体的な例をあげることによって、理解していただきたいと思います。
ではさっそく一例目
世の中には政治家になりたいと思っている人たちがいます。国政、県政、市政など、選挙に立候補して議員になることを望んでいる人たちです。こういった人たちがどうして政治家になりたいのか、その動機に着目します。
すると、世の中を変えたい、より良くしたいと思っている人たちがいます。こういった動機だけを持っている場合は世間愛ではありません。
それに対し、人から特別扱いをされたい、周囲の人に畏怖(いふ)の念を持って接してもらいたいという気持ちが心のどこかにある場合はその部分が世間愛です。
次に二例目
ピアノやダンスといった習い事の先生がいます。その先生が生徒や親からどう接してもらいたいと思っているのかに着目します。
子供たちに自分が持っている技術を分け与えたい、子供たちの才能を伸ばしたいと日頃から思っていて、厳しく指導することがあり、たとえ子供や親から親密に思われなくてもよいと思っている場合は、世間愛とは言いません。
しかし、そういう思いを持ちつつも心のどこかで、敬われたい、丁重に扱ってほしい、先生と呼んでほしいという気持ちがある場合は、その気持ちこそが世間愛です。
三例目
SNSで自分の日常を発信している人たちがいます。ブランド品を身につけたり、高級車に乗ったり、すてきなレストランで食事をする姿をアップしています。そういった人たちが、なぜSNSに投稿しているのか、その理由に着目します。
自分たちが扱っている商品の売り上げを伸ばしたい、営業成績を上げたいと思っているのであれば、それが正しいかどうかは別として、世間愛ではありません。
フォロワーの数を増やしたい、きらびやかな自分を見せてうらやましがられたい、一目置かれたいと思っているのであれば、世間愛です。
最後に四例目
自宅のリフォームをしたいと考えていた時、友達の夫が工務店を経営していることを知りました。その友達にリフォームの見積もりを頼み、いよいよ発注という段階で、親が病気になってしまいました。治療や入院など、出費がかさみそうです。
このとき、リフォームを見送るか、もっと少ない額で済むように再度見積もりをお願いできるのであれば、世間愛はありません。
しかし、友達の夫なので、断ったり、再見積もりを依頼するのは体裁が悪いと、見積もり通りに発注してしまえば、その見栄っ張りなところが世間愛です。
いかがだったでしょうか。世間愛とはどういったものかがおわかりいただけたでしょうか。
世間愛であるか否かは何をしたかではなく、動機・理由が重要になります。世間愛とは「自分を実態よりも良く見せたい」という欲のことであり、そこには必ず「他人からどう思われているか」が含まれているのです。
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