今日は霊的側面から、人はなぜ自分のことを過大評価、または過小評価してしまうのかをお伝えします。
このような体験をしたことがあるでしょうか。仕事を例にあげてみます。
自分は仕事をしっかりやっているし、成果も出している。それなのに、上司や同僚たちは自分を評価してくれない。本来ならもっと大切に扱われるべきだし、もっと早く昇格しても当然だ。
自分の能力が人より劣っていると感じる。みんなは楽にやっているのに、自分はとても苦労している。そして、みんなに助けられてばかりいる。そんな自分が嫌だ。いつか同僚たちから「あなたなんていらない」と言われてしまわないかと、心配だ。
といった体験です。
自分の行動を正しく評価することは大切です。
自分を正しく評価し、行動を理解できれば、優れている点はもっと伸ばそうという前向きな気持ちがわきます。不足している点があったら、がんばろうと努力をする気持ちもわきます。
ここで大切なのは、「自分を正しく評価する」ということです。
では、自分を正しく評価するには何が大切なのでしょうか。それは「視点をどこに置くか」です。
先ほど最初の例として取り上げた「自分はやっているのに、周りが評価してくれない。」という例は、視点が自分にあります。
自分のやっていることの正当性や評価を自分基準として、自分の目でだけでとらえています。そこには、周囲の人にとって自分はどう映っているのかという他人視点が欠けています。
2つ目として取り上げた「自分が劣っている」と感じてしまう例は、物事の判断基準が他人にあります。本来、自己評価は他人視点で考えるべきなので、一見これで正しいかのように見えますが、この場合は違います。
自己評価が低い人は「自分はどう見られているか」をとても気にしています。そこには「正しい評価」という基準は失っていて、「見られ方」にとらわれてしまっています。
では、なぜ人は自分を正しく評価することができないのでしょうか。
それは、私たちが肉体を持っているからです。一見、極端なものの言い方のように聞こえてしまうかもしれません。霊的立場で説明します。
魂は肉体の中に入っています。魂は肉体に覆われているので、相手がどう思っているのかがよくわかりません。相手の表情やしぐさを見たり、状況から判断はできますが、こういった情報は結構曖昧で、相手の考えを正しく理解できるとは限りません。
一方、霊界にいるスピリットたちは肉体がなく、魂だけの状態です。そのため、相手がどう思っているか、どう感じているかを正確に理解できます。
自分を過大評価する、自分を過小評価するというのは、肉体を持つ現世界ならではの現象なのです。
肉体を持つことによって、たくさんのことが障害になります。しかし、だからこそ、訓練の道具になっているのです。
「肉体があるから、相手がどう思っているかはわからない、だったら、そんなことには気にしなくていい。」とはなりません。
肉体を持つがゆえに難しさがあることを前提に、自分を正しく判断することが重要です。
自分を正確に判断しないと、社会でスムーズに生きることができません。間違った判断を繰り返すことによって、生きづらさも感じてしまいます。
自己中心的ではなく、見られ方を気にするのではなく、他人視点で自分を正しく判断することはとても大切なことで、これを続けていくことによって、自分では意識していなかった「異常性」に気がつくことができるのです。
生きづらさの原因はなんだろう?
そう思った時は、スピリチュアルカウンセリングで指導霊に尋ねてみてはいかがでしょうか。自分の本当の姿を理解できていないのかもしれません。
詳しくはホームページをご覧ください。
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