指導霊の服装と持ち物

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新緑のモミジ
ハート型が見えますか?

スピリチュアルカウンセリングでお客様の指導霊と対話をしていると、ときおり「おやっ」と思うような服装や、いでたちをした指導霊に会うことがあります。今日は指導霊の服装と持ち物について、それが意味することについて書きます。

多くの場合は、指導霊は現世界で生きていた最後の時代の服装をしています。ですから、服装から指導霊が生きていた時代や地域を推察することができます。しかしなかには、当時の服装に加えて、ちょっと変わったアイテムを持って現れることがあります。そういう時は、指導霊になぜそれを持っているのか理由を尋ねるようにしています。では、例をいくつか紹介します。

「剣を持っている」
剣や刀をたずさえて指導霊が現れることはよくあります。しかしその多くは剣を鞘(さや)にいれて、腰帯などにさしています。しかし中には、剣をむき出しで、なおかつ、手にかざしていることもあります。

なぜ剣を持っているのか尋ねると「(相談者が)自分の良くない点や魂の浄化に反する行為や思考に気がつき始めた。みずからをいましめ、立ち向かってほしい」という趣旨のことを言うことがあります。

剣は他人に対してではなく、自分の中にある弱いもの、悪癖に対するものなのでしょう。そしてそれらに、果敢に立ち向かってほしいという指導霊からの応援の気持ちを表しています。

「カブトをかぶっている」
鎧(よろい)や、脛(すね)当て、肘(ひじ)当てなどの武具を身につけて現れることもよくあります。しかしそのような場合でも、大抵はカブトはつけていません。このような場合は、指導霊が武者であったことのしるしで、それ以上の意味があるということはあまりありません。

しかしカブトまでかぶっているとなると、事情は少し異なるようです。

カブトをかぶっている場合は、相談者が特定の誰かや自分以外の全ての人からの対処に苦慮し、攻撃を受けているような意識持ち、自分を守りたいと思っているというときに多くあります。

「宝飾品を過度につけている」
髪飾りやネックレスをつけていることはよくあります。しかし、髪飾りやヘアバンド、ネックレス、ときには服にまで宝石が散りばめられているというのは、そう多くはありません。

こういった過度な宝飾品を身につけている理由を尋ねると、相談者が本当の自分よりもよく見せたい、他人から評価されたいといった、世間体を気にしていることがあります。

指導霊としては、「実態とはかけ離れて飾り立てるのは、むしろ滑稽(こっけい)ではありませんか?」というメッセージのようです。

「性別と反対の服装をしている」
男性の指導霊なのに女装をしていたり、女性なのに男装をしている時です。

これは何を意味しているかというと、相談者が肉体の性とは異なる性の思考を持っている、トランスジェンダーだという意味ではなく、二面性を持っているという意味を表していることが多いようです。

たとえば、とても人当たりがよくみんなから親しまれているが、本当は方便のためにそうしているだけで、心の中では違うことを考えているとか、優等生的な言動をしているが、実際は自己中心的であるという場合です。

処世術としては優秀なのかもしれませんが、世の中をうまく渡っていけている分、自分のまずさに気がついていないという警告を意味している時があります。

これらの例はあくまでも参考でしかありません。

指導霊がこのような姿をしていたら、それは即○○だということではありません。実際はもう少し複雑で、指導霊に直接尋ねないと、本当の趣旨はわかりません。

いずれにせよ、指導霊の服装や持ち物は、自分の担当している人に対する警告や応援といった、メッセージ性をもつことがよくあります。

自分の指導霊はどんな人かを知りたくなりましたか?
スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊がどのような人なのか、なぜ自分の指導霊をしているのかを尋ねることができます。
詳しくはホームページをご覧ください。

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スピリットガイド(指導霊)の役割

お供え物のその後

ドウダンツツジ

ドウダンツツジ

お客様から、「ブログで、お供え物をするとそれが霊界に届くと書いてありましたが、届いたお花はその後どうなるのでしょうか。いつかは枯れてしまうのでしょうか。それともずっと咲き続けるのでしょうか。」という質問を受けました。

お供えをすると供えたものが、霊界に届くというのは、スピリットから何度も聞いたことがありますが、供えたものがその後どうなるのかまで、私自身が関心を持っていませんでしたし、知りませんでした。それでさっそく、お客様の指導霊と私の指導霊に尋ねてみました。興味深い話もありましたので、このブログでご紹介します。

まずお供えですが、大切なのは、特定の誰かを思い浮かべて、その人に差し上げるという気持ちをもつことが大切です。相手のことを思い浮かべずに、ルーチンとして、お仏壇にお茶を置いただけではスピリットに届きません。

また、置くのは1つのお茶だとしても「お父さんどうぞ、おばあさんどうぞ」と心に思い浮かべると、他界したお父さんとおばあさんの元に同じお茶が届くのだそうです。霊界って、物理じゃないんですね。
それと、熱いお茶は熱く、ぬるいお茶はぬるく届くのだそうです。

お茶が届いたら、スピリットはお茶を飲みこそしませんが、香りを楽しんだり、潤いを感じながらお茶を楽しむのだそうです。そうすると、私たちがお茶を飲んだ時と同じように、お茶がなくなり、湯呑みだけになるのだそうです。これは、お菓子や果物などの食品も全く同じだそうです。

では、お花はどうでしょうか。

お花も供えたものと全く同じお花が霊界に届きます。

そしてスピリットは、花の匂いを嗅いだり、私たちと同じように部屋に飾って、見て楽しむのだそうです。食べ物と違う点は、匂いを嗅いでも、見て楽しんでもお花は消えないことです。しばらくの間は、スピリットの部屋で美しく咲いているのだそうです。しかし、それは永遠ではありません。少しずつ茶色くなって、しおれてくるのだそうです。

どういう時にしおれてくるかというと、供えた現世界の人が、その花への関心を失ったり、他のお供えに気を取られたりすると、しおれていくのだそうです。

「もし仮に現世界の人がずっと供えた花のことを思い続けていたら、いつまでも霊界の花はしおれないのですか。」と質問をしたところ、それはさすがにないのだそうです。ある程度の限界があって、やがていつかはしおれてしまうのだそうです。

そして、しおれた花はどうなるかというと、ある日突然、ふっと、無くなってしまうのだそうです。

スピリットが特別な感情を持って、花を拒絶する時以外は、しおれた花をみずから処分することはないのだそうです。

霊界へのプレゼントは私たちの想念で成り立っているのですね。

もう一度話しがしたい大切な方がいらっしゃいますか?
ミディアムシップで、他界した方とお話をすることができます。
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お供え

認知症と魂

サクラ

サクラの季節になりました

晩年、加齢とともに認知症になる方がいらっしゃいます。そういった方たちが他界後、霊界でどのような状態でいるのか、存命中に魂はどの程度まで理解しているのかを通して、家族は認知症の人とどう向き合ったら良いか提案を書きます。

「人は霊界にもどると、病から解放される」ということをどこかで聞いたり、本で読んだことがあるかと思います。でもこれって、本当なのでしょうか?

もちろん、本当です。
しかし、他界してすぐに病から解放されるというわけではありません。残念なことですが。

ミディアムシップで、晩年に認知症を患い、他界してまだ年月の浅いスピリットと対話をすることがあります。こういったスピリットの場合、私が質問や問いかけをしても、えてして反応は遅く、質問の答としてずれている内容を伝えてくることがあります。

ただし、ずれた回答をしてしまうのは、晩年に関する質問のときだけです。
壮年時や若い頃の話になると、明確にはっきりと答えてくれます。私たちが少しぼけぎみのお年寄りと話している時と本当にそっくりなのです。

脳は肉体です。肉体を脱ぎ捨てたのですから、認知症という脳を原因とする問題はすぐに解決するはずと思いたいところですが、そうではありません。

私たちはこちらの世界で何十年という月日を過ごしています。そのため、魂が肉体から受け取る影響は想像以上です。肉体を脱ぎ去って、魂だけの状態になったからといって、すぐに完全な状態にはなれないのです。

ミディアムシップから得た経験から言いますと、認知症を患ったスピリットが、応答の早い一般的な会話ができるようになるまで、数年かかるようです。

認知症があったスピリットとの対話で、もう1つわかることがあります。それは、認知症の状態のとき、スピリットはどこまで理解しているのかについてです。

ご家族の方から、「あの時はどう思っていたの?」とか、「辛い思いをしたでしょう?」と質問をしても、たとえ他界後、相当な年月が経ったスピリットでも、「わからない」とか、「そんなことあったの?」と逆に聞かれてしまいます。

つまり、認知症の時は、魂も理解していないのです。
私たちが生きているときは、あらゆる情報、たとえば音声や視覚は、全て脳で処理されてから認識します。しかしその脳に問題が発生すると、聞こえていても、見えていても、脳が処理できていないので、魂に届いていないのかもしれません。だから、認知症を患っていた時代の出来事を質問しても、スピリットは記憶にないのです。

ここまで読むとまるで救いのない話に聞こえるかもしれません。しかし私が伝えたかったことは、ここから先にあります。

愛する親が認知症を患ったときに、身を呈するような看護はできるだけ避けていただければ、と思うのです。

仕事を辞めてしまう、看病のために家族が崩壊してしまうなんていうのはもってのほかです。認知症の親の面倒をみるということは、あくまでのその人の「情」です。ひど言い方をすると、自己満足にすぎません。肝心な親は魂レベルでも理解できていません。まさに自己満足のために、大切な家族との関係を失ったり、将来を失ってはいけないと思うのです。

親が認知症になったら、どうやったら自分と自分の家族が笑顔で、親との関係を保てるかを考えていただきたいのです。特別養護老人施設やデイサービス、ヘルパーなど、他人の力を借りことに後ろめたさを感じないで欲しいのです。頑張るだけが介護ではないのです。

そしてもし、親との関係に問題があるのなら、親が認知症になる前に、和解をしてください。認知症になってからでは遅いのです。

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