祈りと瞑想

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今日は宗教的背景による、祈りと瞑想の違いについて書きます。

突然ですが、海外のキリスト教徒やユダヤ教徒たちは基本的に瞑想をしないし、瞑想は一般的ではないと言ったら驚くでしょうか。

映画で瞑想をするシーンや「彼は瞑想をする」というセリフが出てきた場合、この登場人物は「変わり者」だという説明描写になっています。彼らの中で瞑想をするのは、東洋思想やニューエイジ(1960年代アメリカの対抗文化)の影響を受けている一部の人たちだけなのです。

では、全ての日本人は瞑想をするのかと言われれば、もちろんそんなことはありません。それでも、一般的なキリスト教徒やユダヤ教徒の瞑想に対する距離感に比べると、日本人のそれは、はるかに身近なものです。

これは日本人と仏教の関係に起因していると思います。そもそもお釈迦様は瞑想によって悟りを開いて仏教を開祖しましたし、日本の臨済宗、曹洞宗の禅の影響もあります。

ではキリスト教徒やユダヤ教徒にとって、瞑想に代わるものはないのでしょうか。

もちろんあります。それが「祈り」です。

海外旅行で教会に入ったことがある人なら経験したこともあるかと思いますが、日曜の礼拝式でもないのに、平日に木製のチャーチ・チェアに両ひじをついて、祈りをささげている人たちが教会にちらほらといます。

彼らはたいてい、30分〜1時間ぐらい、ずっと同じ姿勢を保ってお祈りをしています。

日本人が神社で神様に手を合わせ、お祈りをする時間はせいぜい30秒〜1分くらいしかありません。それと比較すると、彼らのお祈りの時間がとても長いことがわかると思います。

では、こんなに長い時間をかけて、一体何をお祈りしているのでしょうか。

実は日本人の祈りは「神様へのお願い」であるのに対し、キリスト教徒やユダヤ教徒の祈りは、自分が置かれている立場がいかに問題なのか、そしてそれをどうして欲しいのかをずっと「神様に語りかけて」いるのです。そして、自分はどうしたら良いのかを「神に尋ねている」のです。

長い祈りによる結果として、自分の考えをまとめ、不都合の原因や善後策を練ることもできます。

これって、瞑想と同じですよね。

一般的な日本人は、習慣的な瞑想はしませんが、気持ちを落ち着かせたい、問題を解決したい、知恵を授かりたいと思ったときには瞑想をすることがあります。

つまり、日本人は祈りと瞑想は別物と考えていて、目的によって祈りと瞑想を使い分けているのです。

それに対して、キリスト教徒やユダヤ教徒は「日本人が考えるところの祈りと瞑想をあわせ持った目的」で、お祈りをしているのです。

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