育児放棄と虐待

モクレン

幼い子供というのは、愛くるしい姿、小さな手、あふれる笑顔など、あげ出したらきりがないくらい、かわいらしいものです。ましてや血を分けた我が子となるとなおさらのことでしょう。

しかし、そんなかわいいはずの我が子なのにミルクをあげない、おむつを替えない、面倒をみないといった育児放棄。手あげる、折檻(せっかん)する、子供が少し大きくなったら言葉で痛めつけるといった虐待は一体なぜ、起きてしまうのでしょうか。

結論を先に申し上げますと、これはひとえに、その親と子が過去生で縁があり、なおかつ問題があった組み合わせだったということにつきます。

詳しく説明します。

人はこの世に生まれる時に、再生の計画をたてます。計画の多くは、過去生で霊的真理と離れたことをしてしまったり、過ちを犯したことについて、今度こそは最善をつくそう、ちゃんとできるようになろうという内容です。これを「人生の課題」といいます。

人間関係の場合、霊的真理から最も離れた行為は「憎しみ」です。

過去生で、親や兄弟姉妹、パートナーといった家族、または恋人など、愛するがゆえの行き違い。同僚やライバルたちとの度を過ぎた対抗心。こういったことがやがて憎しみへと変化していくことがあります。

霊界に戻ってから、そういった殺伐(さつばつ)とした想いを反省し、今度こそはお互いを認め合い、和解しあおうと誓うのです。

ではどうして、憎しみあった者たちが夫婦や友人ではなく、親子になるのでしょうか。

それは、お互いに憎しみあった者同士が逃げることなく、しっかりと向き合うためです。友人だと憎しみあったら、絶交して終わりです。また、夫婦になることを計画した場合、そもそも憎い相手を好きになり、結婚するでしょうか。

親子というのはどのような状態になっても縁を切ることができません。たとえいっとき、疎遠になったとしてもです。
これが、憎しみ合う者同士が親子になるメカニズムです。

では一方、憎しみあった過去がない親子の場合、同様なことが起きたらどうなるのでしょうか。

子供が児童以上であれば、親が手を上げた瞬間に暴力を察知して逃げてしまいます。もう少し大きくなれば家を出てしまいます。

これに対し、親の暴力を察知しても身がすくんで逃げれなかったり、口ごたえができないというのは、過去生で特殊な関係があった証拠です。

あなたに複数の子があり、そのうちの誰かを他の子と同じように愛することができない、生理的に好きになれないという気持ちがあるとしたら、その子とあなたは共通の課題を持っている証拠です。その子としっかり向き合い、子を認め、理解し、愛し合うことを求められているのです。

我が子に対して何かしっくりいかないものを感じますか?
スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に過去生における、あなたとお子様の関係を尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはスピリチュアルカウンセリングをご覧ください。


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