スピリチュアリズムを学ぶこと

梅の花がほころんできました。春遠からじですね。

今日は人生において、スピリチュアリズムを理解し、学ぶことは必須かどうかについて書きます。

人はこの世に生まれるにあたって、課題や願望、または大志といった、一生をかけて取り組みたい何かがあって、やってきました。これには例外はありません。ただなんとなく生まれてきた、ということは決してないのです。

そして課題や願望、大志といったものの先にある究極は、魂の浄化と隣人愛です。人は何回もこの世に再生することによって、魂を限りなく浄化し、自己中心的な生き方ではなく、他人を思いやる生き方ができるようになることを目指しています。

しかも、教訓としての記憶をとどめることなく、なんの制約も受けず、ありのままの自分が汚れのない魂であり、愛に生きることができるようになることを求めているのです。ですから、霊界で学んだ霊的真理も、過去生での体験も全て忘れてしまっているのです。

ただし、そのことがあだになって、刹那(せつな)的、享楽的な生き方をしたり、人生をかえりみない生き方をしてしまうこともあります。

人生は登山にたとえることができます。

頂上が今回生まれてきた人生の目的です。そして頂上は高く、険しく、困難な道のりの先にあります。くじけていても、歩みをやめてしまっていても、道に迷っていても、この世に生まれた全員が登山者なのです。

大切なのは、この世を去るまでに頂上に到達することです。

頂上にたどり着くには多くのルートがあります。どのルートを選んでも正解であり、間違いではありません。

ルートを自らの力で導き出しても良いですし、先人の知恵を借りても良いのです。

指導霊はあなたと一緒に登山をしている仲間です。そして、指導霊の役割はあなたが登山をあきらめてしまわないようにすること、くじけそうなときに応援することです。そして、あなたの性格に最もあった頂上へのルートを提示することも指導霊の大切な役割のひとつです。

指導霊が、あなたにとっても最も適しているのが倫理だと判断したら、倫理をルートマップとして提供します。道徳こそが導いてくれると判断したら、道徳に重きをおいた生き方を提案します。仕事を通して、人に喜んでもらえることが生きがいになると判断したときは、仕事を通して多くを学ばせます。

スピリチュアリズムは登山ルートの1つです。肉体が死んでも魂は死なないことを証明し、なぜ人はこの世に生まれてくるのか、なぜ頂上を目指しているのかという疑問に真っ向から答えていくのがスピリチュアリズムです。

では結論を述べます。
人生という登山において、スピリチュアリズムは必須ではありません。数あるルートの1つです。あなたにとって、最も適切なルートを使って頂上にたどりつければ、それで良いのです。

頂上に向かって、ちゃんと歩めているか不安ですか?
スピリチュアルカウンセリングで、お客様の指導霊に率直な意見を尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。



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