今日はクリスマス・イヴですね。みなさんが、愛する人たちと暖かな一日を過ごすことができますように。
さて今日の話題は、クリスマスとは一見関係ないようにも見えますが、最後まで読んでいただけるとちゃんとクリスマス向けの内容になっています。お楽しみください。
カレスティアでは「ヘブンリー・カフェ」という、瞑想とスピリチュアル関係の話題に関する交流会をおこなっています。その会で以下のような質問が出ました。
それは
「昔の人は今よりもずっと寿命が短かったですよね。ということは、昔の人の人生の課題は現代よりも容易で、現代は寿命が長い分、難しい課題に取り組んでいるといえるのでしょうか」
というものでした。
結論を先に述べますと、寿命の長さと課題の難易度には相関関係はありません。しかし昔の人、それも古代の人たちが取り組んでいた人生の課題と近代・現代の人が取り組んでいる人生の課題では、その内容や質がずいぶんと異なっています。
詳しく説明しましょう。
古代は現代よりももっと死が身近な存在でした。獲物が取れなかったり、農作物がうまく育たなければ、あっという間に飢えてしまい、死を意識しなくてはいけませんでした。
そういった時に発揮される「自己愛」とは、食物を独り占めにし、他人に分け与えないことです。
しかし古代は周囲の人との協力がとても大切でした。狩りをする時には獲物を追い立てる人たち、仕留める人たちが必要でした。農耕でも人々が力を出しあって、土を耕し、種をまいて収穫をしていました。何をするにしても助け合いが必要だったのです。
そういった状況で、自分だけ食物を独占すると、いっときは自分は生きながらえることができますが、村の人々が死んでしまい、結果としては自分の死も招いてしまうのです。
古代人の人生の課題は、霊的真理の原理原則にとても近いものでした。
自分至上主義を捨て、困っている人を助けよう。つまり「自己愛を捨て、隣人愛に生きる」ということです。まさに霊的真理です。
そもそも魂の本来の居場所は霊界ですが、魂の進歩・向上のために魂は地球に生まれてきます。そして優秀な魂は地球の古代において、人生の課題を達成し、地球への再生が不要になっています。
それに対し何回、輪廻転生しても、課題が一向にクリアできない、不出来な魂が現代においてもなお、地球に生まれてきているのです。
現代の地球に生まれてきている魂は、自己愛を捨てることができず、多くの問題を起こし、事態をより深刻化、複雑化させています。そのため、課題の対象が集団としての人ではなく、個人になっています。
Aさんとの問題を解決するために親子となって生まれる。Bさんとの問題を解決するために夫婦になる。というように、個人対個人の課題をクリアしないと、集団としての人に向き合うことさえできなくなっているのです。
「一番大切なことは人を愛することです」とさとすために、今から約2,000年前にイエス様は地球にお生まれになりました。
2,000年の間、人はいったい何回、再生しきたのでしょうか。イエス様がお望みになったことが、どれだけ実現しているのでしょうか。
クリスマス・イヴにイエス様の生誕をお祝いするのはもちろんですが、イエス様が人々に託した願いを今一度、心の中に思い起こしてみてはいかがでしょうか。
メリー・クリスマス!
自分はこの世に生まれてきて、課題をどれだけ達成できているのだろうか?
そう思ったときはスピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。
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