こんなうわさを聞いたことがありますか。
昔、墓地だったところに団地ができた。その団地の住人が階段を登っていると、先に昇っていた人が急にいなくなった。
昔、墓地だったところに道路ができた。車で走っていると、歩道にたたずんでいる人が見えた。ふとバックミラーを見たら、そこにいるはずの人が映っていなかった。
といったうわさです。
やはり、スピリットはお墓にいるものなのでしょうか?
20年ほど前に、「私のお墓の前で泣かないでください。そこには私はいません。」という歌がヒットしました。この歌ではスピリットは墓にはいないと言っていて、先ほどの考えとは正反対です。
本当のところ、どうなのでしょうか?
その答えを導くヒントがあります。実は「この世を去ったのだから、もうお墓になんか未練はない」と考えているスピリットは、あまり多くはいません。むしろ、お墓を特別視しているスピリットのほうが多数派です。
墓地の再開発が行われると、お墓の移転が必要になります。事業者はお墓の所有者と連絡を取り、僧侶による魂抜きのお経をあげ、移転先の新しいお墓でまたお経を唱えるといった手順で移転が行われます。
しかし、全てのお墓がそうなるわけではありません。所有者と連絡がとれないお墓は、いわゆる無縁仏になって、移転先で共同供養塔に入れられてしまいます。
そういったとき、子や孫たちが盆や彼岸にお墓参りをしてくれたが、自分の顔も知らないひ孫の代になり、やがて墓と疎遠となって、連絡が取れなくなってしまった。そういった状況なら、「仕方がない」と思うスピリットがほとんどでしょう。
しかし、子や孫が墓参りをしてくれない。それどころか、業者と音信不通になってしい、無縁仏にされてしまったとなると、スピリットは穏やかな気持ちではいられないと思います。
墓は確かにスピリットの居場所ではありません。しかし、自分がこの世に生きた重要な証でもあるのです。そういった証がぞんざいに扱われることにスピリットが悲しみを感じたとしても、当然のことです。そして、自分がこの世に生きていたことを知ってもらいたくて、見知らぬ人の前に現れたとしても仕方がないのかもしれません。
スピリットも人も感情は全く同じです。自分が忘れられてしまうことは、悲しいことなのです。
多くの人が勘違いをしていますが、他界してスピリットになったからといって、急に物分かりが良くなったり、欲がなくなることはないのです。
もう一度話しがしたい大切な方がいらっしゃいますか?
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