ミカエルと不動明王

今日は大天使ミカエルと不動明王には意外な共通点があるということについて書きます。

キリスト教や西欧文化に詳しくない人でも、すぐに名前を思い出せる天使として、ミカエルの名が挙げられると思います。

ヨーロッパでも、ミカエルの人気は高くて、カソリック教会であればステンドグラスや壁にミカエルの絵が描かれています。また、マイケルジャクソン、ミハエル・シューマッハ、ミッシェル・ポルナレフといった有名人もそれぞれの国で呼ばれているミカエルのことです。

一方日本では、不動明王は人気のある仏様です。東京だと目黒不動尊、高幡不動尊などがあり、縁日にはたくさんの人で賑わいます。

ところでなぜ、ヨーロッパではミカエル、日本では不動明王が大衆の人気を得ているのでしょうか。

それはその「姿」にあるのではないかと私は考えています。

ミカエルと不動明王はともに、手に剣を持っています。そして勇ましい姿で、にらみをきかせています。

人は自分が弱いことをよく知っています。いつ陰謀、暴力、悪者に襲われるかもしれません。そういったときに自分の力だけでは到底かないません。そんなとき、自分を救ってくれる超自然的な力があるのだとしたら、それにすがりたくなるのは当然のことでしょう。だから、力強いミカエルや不動明王に大衆の人気が集まるのだと思います。

しかし、ミカエルや不動明王が剣を陰謀、暴力、悪者といったものに振るうことはありません。

ミカエルは天使なので、主の命によって動きます。ミカエルが戦う相手は、主の教えを欺(あざむ)く者、民をそそのかす者です。そのため、剣を持つ手の反対の手には、公正さをはかるための天秤を持っています。

大天使ミカエル

では不動明王はどうでしょうか。

仏教の一派である密教では、大日如来を最も重要と考えています。大日如来は姿、形のない永遠の真理を表しています。そして、その大日如来が邪(よこしま)なものと戦うときに不動明王になるとしています。

不動明王は片手に剣を持って、煩悩を断ち切り、もう片方の手には人々を煩悩(ぼんのう)から救い出す投げ縄を持っています。

不動明王

このように彼らが戦う相手は、陰謀、暴力、悪者ではありません。もっと言うと、他人ですらないのです。いくらそそのかす者がいたとして、それに乗るかどうかは本人次第です。そそのかされた人の心の中に邪なものや煩悩がなければ、そそのかされることはありません。

人が主や仏の教えに従おうとしたときに、邪な考えや煩悩と戦わなくてはいけない時が必ずやってきます。

そういった時に「頑張れ!必ず勝てる!」と高く剣を振りかざし、鼓舞してくれるのがミカエルであり、不動明王なのです。

魂を浄化するためには常に戦いがあります。その剣の矛先はあくまでも自分自身です。決して他人に剣を向けてはいけません。自分には厳しく、人には優しくです。

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