宗教人間

宗教人間 | カレスティア

今日はクリスマスです。
イエス様の生誕をお祝いして、聖なる一日を穏やかに過ごしたいですね。

ところで、街の装飾を見ていると、「Christmas」の文字が書かれていないことが多々あり、「Merry holiday」や「Happy holiday」だったりします。
一体誰に忖度(そんたく)しているのでしょうか。ちょっとやり過ぎな気がします。

さて今日は、自分が正しいと思って、人を批判したり、相手を変えようとしているあいだはうまくいかない、という話について書きます。

私を含めて、誰でもそうですが、どうしても人を批判的な目で見るクセがついています。
「なんであんなことするんだろう」「普通やらないよね」「常識ないんじゃない」と、ついつい心の中で思ってしまいます。

これは自分の中にある尺度を持っていて、その尺度が本当に正しいのかどうかの真偽も検証せず、ありとあらゆることを測り、間尺に合えば肯定、合わなければ批判するというものです。

このことを私の師である山本貞彰氏は「宗教人間」と表現していました。

宗教や宗派によってそれぞれに教えがあり、それを牧師や指導者から、徹底的に教え込まれます。そして、その教えに反するものや、そぐわないものは悪である、異端であるとします。

古代から現代に至るまで、あらゆる戦争や紛争、テロの根っこにあるのは、自分たちの神の教えにそぐわない異教徒を粉砕し、彼らを神の教えに改心し、救済しようというエゴです。

しかし、みんなが信じている神の教えは、本当に神が言ったことなのでしょうか。
もしかしたら、のちの教団や指導者が勝手に解釈して、つけ加えたことかもしれません。
そういった真偽を問うことなく、盲信してしまっているのは信者自身の怠慢です。

信仰を生活の基本においている人たちが陥りやすいワナは、自分と違う考え方をしている人たちを受け入れることができない、つまり「多様性」の存在を受け入れられないということです。
・・・「Christmas」の文字がないのは最近増えてきた仏教、キリスト教以外の人たちを配慮してのことかもしれませんね。わたしこそ、自分の尺度を振り回していました。

宗教だけではありません。私たちのいざこざの多くは、この「宗教人間」的考え方が起因となっていることが多くあります。

自分の尺度は、自分の家庭でつちかった普遍性のないものかもしれません。または、自分が体験してきた、ほんのわずかな経験値から築いたものかもしれません。

これからの年末年始、親戚や義父母、義家族と接する機会も多くあります。
おやっと思う行動を見ても、「ふう〜ん」と見るだけに留めることを心がけてください。たとえ心の中であっても批判は禁物です。
批判する気持ちが湧いてきたら、「そういうこともあるのかもね」と、無条件に受け入れてしまうことです。

たったこれだけで、人間関係を随分と変えることができるようになります。

これは決して生きる上での知恵ではありません。
人それぞれ尺度を持って生きているということ。その尺度は自分とは違うということ。そして自分の尺度も随分と脆弱であるということを知って、他人を肯定的に受け入れることが大切なのです。



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