霊的真理の基準

霊的真理の基準 | カレスティア

もみじがきれいに色づきました

魂の浄化のために日々どのようにしたら良いかを理解するために、まず大切なのは「基準」を持つことです。

わかりやすくいうと「いいことと、わるいことの境界線」をはっきりさせることです。

まず、自分が生きている国の法律を守るというのは当然です。
法律は他人の肉体を傷つけない、他人や公共の利益を損なわないという考え方のもとに作られています。つまり、最低限守らなくてはいけないルールです。これを破ることは、魂の浄化以前の話です。

次に倫理ですが、その多くは守るべきです。
たとえば約束を守るとか、嘘をつかない、などです。

しかし、注意も必要です。倫理とは民族が持つ慣習を下地にしているものが多く含まれています。そのため、それを破ったからといって、必ずしも魂の浄化に反することにならないということもあります。

たとえば、同性愛。
最近ではずいぶん市民権を得て来ましたが、他人ならいざ知らず、家族のこととなると心中穏やかではいられないと思います。ではなぜ、魂の浄化において、なぜ同性愛が問題にならないかというと、そもそも魂は男性、女性、どちらも等しく経験しています。そのため、男性が好き、女性が好き、またはその両方、いずれにせよ、人を好きになる時に現世界での肉体の性別はあまり意味がないのです。

次に宗教的戒律(タブー)。
これには全くといっていいほど魂の浄化とは関係がありません。
牛を食べてはいけない、豚は不浄の生き物だ、開祖の命日にお祈りをしなくてはいけない、輸血をしてはいけない。よく考えればわかることですが、実にナンセンスです。少し極端な例をあげましたが、似たような戒律がたくさんあります。そして戒律の多くは、神ではなく、のちの宗教者たちが作り上げたものです。

では、霊的真理の基準はどこなのかというと、それは「人を傷つけない」です。

「えっ、たったそれだけ?」と思った方も多いのではないでしょうか。

実は思ったほど簡単なことではありません。
実際に行動したことだけではなく、心の中で思ったことも含まれるからです。

私たちの世界は法律に反することをすると罰を受けます。しかし、陰口や噂話、ましてや心の中で思っていることは罰どころから、誰からも非難されません。
しかし霊界の基準、つまり魂の浄化という視点だと、行動したことと心の中で思ったことは完全に同じであり、差が存在しないのです。ですから、人の不幸を心の中で思った時は、実際にその人を不幸にしたのと同じになるのです。

そしてさらに難しさを感じるのは、先ほどから上げている「人」に「他人」ばかりではなく、「自分」も含まれていることです。

自分のことを信じられない、過小評価をしている、という方は、自分の魂を傷つけていることになり「人を傷つけている」のと同じになるのです。

魂の浄化への道を歩むために「人を傷つけない」、まずこの基準を持つことが大切です。

自分はどれだけ誤まった生き方をして来たのだろうか。
そういう自責の念にとらわれた時は、スピリチュアルカウンセリングでご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

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