予言に対処せずに死んだ場合、自殺と言えるか

バーベナ
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近頃、ある漫画家が発した7月に大災難があるという予言が世間をにぎわせています。

お客様から「自然災害が起きることを予言で知っていたのに、それに対処せず命を落とした場合、それは自殺と言えるのでしょうか?」という質問をいただきました。

この質問に答える形で、今日のブログを書いていきます。

まず前提として、予言が本物であるか、それとも紛(まがい)い物なのか、また予言を発した人の霊格や社会的信用度は考慮しないものとします。さらに「予言」に限定した話であり、「予報」は除きます。

予言を知っていたのにいつも通りに出社し、学校に行ってしまったがゆえに命を落とした。災害を回避できる場所に避難しなかったから、命を失ってしまった。こういった場合です。

予言を知っていたのだから、それなりの対処ができただろう。しかし予言を信じなかったので、適切な対処ができなかった。それゆえ命を落としたのだから、本人の過失の度合いは大きい。だから、これは自殺と言ってもいいのではないかという考え方だと思います。

実は霊的真理には、自殺かどうかを判断する基準があります。

予言を知っていても、仕事や学校があるからいつも通りの生活をしていた。家族もいるし、すぐには動けないから災害を回避できる場所に避難しなかった。しかし「死ぬつもりなんて全くなかった」のであれば、自殺にはなりません。

それに対し、「生きることに希望を失い、生きることに意味が見いだせなくなっていた」。予言は知っていたが、「災害がこの世を去る機会になるのでは」と考えていたのであれば、自殺です。

大切なのは、「予言→行動→死」という物理的な事実ではなく、「動機」つまり、「生きる意思があったのか」「生きる意思がなかったのか」が、事故と自殺を分ける霊的基準なのです。

情報が混沌として、何が真実なのか、何がウソなのかが分かりにくいですよね。
こういう時だからこそ、霊的真理に耳を傾けることが大切です。
詳しくはホームページをご覧ください。

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