多神教は劣っているのか〜宗教人間〜

「神が何人もいると定義している宗教は劣っていて、野蛮な証拠だ」という言い方をする人がいます。本当にそうなのでしょうか。

地球上の人が住む全ての地域に信仰や宗教が存在します。それがたとえ海に浮かぶ孤島であっても、山深く、人との交流もほとんどないような僻地(へきち)であってもです。

実は、世界中にたくさんある宗教は、一神教よりも多神教の方が圧倒的に多く、多神教の方がむしろ主流だといえます。

ヨーロッパをキリスト教の地域であるという認識をもっている方が多いと思います。しかし、キリスト教が伝来する前のヨーロッパは多神教でした。それも神々ばかりでなく、妖精の存在や先祖霊への畏敬(いけい)の念も深くもっていました。

一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、この3つくらいしかありません。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はイスラエルの地で、ヤハウエイを神と信じる人々の土着信仰を起源としています。

日本人は欧米のものを無条件にほめたたえ、自分達は劣っていると考えるクセがあります。だから冒頭の例にあげたような人は「ユダヤ教やキリスト教の方が格上で、神道や仏教はだめなんだ」と、多神教を非難しているのかもしれません。もしそうだとしたら、単に思慮が浅いだけのことであり、ある意味かわいいのですが、熱心な信仰を理由としているのだとすると事態はより深刻です。

宗教的リーダーの言葉を疑うことなくそのまま信じ、宗教を中心にすえた生き方をしている人たちは「自分の神が正しい、それ以外は邪教である」という考え方をもってしまいがちです。

ある宗教の外国人信者が「邪教を信じるのはもってのほかだ」と言って、神社にある賽銭箱(さいせんばこ)を壊した事件がありました。また、火葬をすると地獄に落ちると信じている外国人信者たちは、日本に土葬できる墓地が少ないので、土葬の墓地をもっと増やすように要求しています。

「郷に入っては郷に従え」という考え方がないのでしょう。なんでも自分たちの流儀にしたいようです。

「自分は正しい」「相手が間違っている」という考え方を私の師である山本貞彰氏は「宗教人間」と表現していました。まさに宗教に夢中になっている人たちの特徴を表現しています。

「自分が正しいのだから、相手を変えよう」という考え方は「他を認めない」「寛容が足りない」「自己中心的である」と言い換えることができます。

「自分が正しい」と思っている限りは、いつまでたっても相手を理解することができません。一人ひとりに違う考えがあり、その考え方や生きたを尊重することが大切です。

自分の物差しで全てを測ろうとするのは傲慢(ごうまん)だということに気がつくべきです。

一つの神を信じるのも、たくさんの神を信じるのも、それはその人の意思にもとづいてのことであり、その考えは尊重されるべきです。正しいか、間違っているかを他人が判断することではありません。

次回のブログで「じゃあ、神様は何人いるの?」という疑問を考察をしたいと思います。

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