カテゴリー別アーカイブ: 連載「スピリチュアリズム講座 入門編」

隣人愛

隣人愛 | カレスティア

クリスマスリースを飾りました


前回のブログに続いて、愛について書きます。
今日のテーマは「隣人愛」です。

「隣人愛」とは「自分を愛するように他人を愛する」ということ。

口で言うのは簡単ですが、魂の浄化でいちばん難しいのが「隣人愛」かもしれません。

他人は自分に好意的な人や、すなおな人ばかりではありません。攻撃的な人もいれば、あからさまに敵意を向けてくる人もいます。そういった人たちを自分のことのように愛する。そう思っただけで、絶望的な気持ちになるか、身動きがとれなくなる感じさえします。

しかしそんなことを言っていてはいつまでたっても始まりませんので、ハードルをおもいきって下げてみましょう。そこで私からの提案ですが、「隣人=他人」とせず、「家族」からはじめてみてはいかがでしょうか。

父と母は肉親ではあるものの、魂はそれぞれ独立した別のものです。そう考えれば、父母や息子、娘といえども他人といってもいいでしょう。伴侶にいたっては正真正銘(?)の他人です。

その家族たちを「愛情」ではなく、見返りを一切望まない「愛」で接していくこと。
これなら難易度がかなり下がるのではないでしょうか。

・・・と、ここまで言っていてなんなのですが、実は家族といえども、思ったほど楽な相手ではありません。

過去生でなんらかの問題があったり、やり残したことがある相手を家族として選んでいるのですから、家族といえども、いえ家族だからこそ「歯ごたえのある」相手ではあるのです。

たとえ他人をあまり愛することができなかったとしても、家族を「愛する」ことを生涯にわたってできるようになれば、それだけでも相当に意味があることであり、魂を浄化することができるはずです。

「職場にどうしても気の合わない人がいる。その人のことを思うと仕事に行きたくなくなってしまう」
そんなときはスピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。
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お読みの記事は連載記事です。カテゴリーで「スピリチュアリズム講座 入門編」を選択していただき、2017年8月25日の記事から時系列でお読みください。

愛を知る

愛を知る | カレスティア

シャクナゲ

魂の浄化のために現世界で「減らしていくこと」の話が続きましたので、今回から、「増やしていくこと」について書いていこうと思います。

今回と次回で「愛に生きる」を解説します。
まずは「愛」とは何かについて。

「そんなこと言われなくても愛くらい知ってるよ」と思った方も多いとは思いますが、私たちが日頃口にしている愛も、文学で語られている愛も、そのほとんどは「愛情」であって、霊的真理の「愛」とは別のものです。

では、愛情と愛の違いをいくつか例をあげながら、説明したいと思います。

例)子供の可能性を広げてあげたいと思い、学習塾や習い事に通わせています(ここまでは愛です)。将来は資格を持って、安定した生活できるようにしてあげたいと思っています。(これは愛情です)

解説)自分の価値観を子供に押しつけていて、親切の押し売りになっています。子供は本当に資格を持つような職業に就きたいと思っているのでしょうか。

例)家族のために心を込めて料理を作りました(ここまでは愛です)。しかし、家族からの受けが悪くがっかりしてしまいました。(これも愛情です)

解説)誰かを喜ばせたいと思って何かをしても、その反応が思わしくなかった時にがっかりしてしまうようでは「愛」ではなく、「愛情」です。もう少し詳しくいうと、愛の中に自分を満足させたいという欲求が潜んでいるのが「愛情」です。

つまり、誰かのためを思って何かをしても、そこに自分の価値基準が入っていたり、自己満足の要素があったり、見返りを期待していたとしたら、それらは全て「愛情」なのです。

それに対し「愛」とは、純粋に相手のことだけを思ってする行為です。感謝の言葉がなくてもがっかりしませんし、そもそも期待していません。

そして意外かもしれませんが、手をださずにじっと我慢することも「愛」なのです。

このタイミングで手を出してしまっては、その人の気づきを奪うことになってしまうかもしれない。そんなときに、じっと忍耐するのが「愛」なのです。
もちろん、転ばぬ先の杖となって、あれこれと手を出してしまうのは「愛情」です。

「愛情」と「愛」の違い、わかっていただけましたでしょうか。

本物の愛がわからなくなって苦しんでいますか?
そういうときは、スピリチュアルカウンセリングで、指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。
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自己愛と世間愛

自己愛と世間愛 | カレスティア

最近、霜が降るようになりました。もうすっかり冬ですね。

魂の浄化の課題は人によって異なりますが、その一方で、現世界に生まれてきた人、全員が持っている課題もあります。

たとえば「自己愛」と「世間愛」の克服です。

「自己愛」を簡単に表現すると「自分さえ良ければ良い。他人のことは知らない。」という考えや行動のことです。

具体的な例をあげると、こんなことです
・タバコを道に捨てる
・車の運転中、一時停止を守らなことがある
・うさばらしで人の悪口を言う
・スマホをいじりながら、混んでいる駅のホームや道路を歩く

どれも、ついやってしまいがちなことですね。本当にささいに思えるかもしれませんが、これらも、れっきとした魂を汚す行為なのです。

「自己愛」が克服ができない原因の一つに、コミュニケーションの不得意、他人の気持ちを理解する力が不足しているというのがあります。

そして、さらに克服を難しくしているのは、現世界に生きる私たちは肉体を持っているから、というのがあります。肉体は飢えや病で、容易に滅びてしまいます。そのため、生存の葛藤、自己保存の本能が働きます。「他人はさておき、自分だけは生き延びなくてはいけない」という強い感情がふとしたきっかけで、わいてきてしまうのです。

宮城沖の震災の翌日、コンビニで水を買い占める親子を見たことがあります。自然災害という緊急事態が、この親子をこういった行動に走らせたのでしょう。つまり、他人と分かち合うという、きれいごとなんて言ってられないということなのでしょう。冷静になれば、その行動が本当に良いかったかは、すぐにわかるはずです。

次に「世間愛」ですが、これは「他人から賞賛されたい。評価されたい。」という欲求です。

例をあげると
・自分の過去を美化して話してしまう
・もっと良い肩書きが欲しい
・素敵なバッグを持って自慢したい
など。

つい虚栄を張ってしまいがちですが、背伸びをすると、必ずしわ寄せがきます。嘘はバレますし、ローンや借金をすれば、返済に追われます。

では、まとめます。
「自己愛」を克服し、「自己中心的な考えを改め、他人を思いやること」。
「世間愛」を克服し、「虚栄ではなく、真の姿で光り輝く魂になること」。
この二つは現世界に生きる全ての人、共通の課題なのです。

「母(父)のことをどうしても許せない。愚かだと思い、見下してしまう。」
そういったときは、スピリチュアルカウンセリングで、指導霊と相談して、なぜそのように思ってしまうのか、どうしたら良いのかを相談してみませんか。
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比較をしない

比較をしない | カレスティア

魂の浄化に本格的に取り組みだした時、最初にやってくる関門は「他人との比較」かもしれません。

霊的真理が少しずつわかるようになってきて、魂の浄化のための葛藤が始まると、自分が随分と成長したかのような錯覚に陥ります。そして、「自分はすごい」とうぬぼれるようになります。そして、つまずき苦しんでいる人を見ると「君はまだまだだなあ」だなんて、見下すようになってしまいます。

これは「絶対にしてはいけないこと」です。

他人を見下すと、魂に偏見や虚栄心、うぬぼれといった汚れの膜をつけてしまいます。つまり、魂を清めながら、汚しているのと同じなのです。

この世に生を受けているということは、すなわち、過去生で失敗をしたか、やり残しをしてきたという証拠。どんなに立派に見える人でも、そうでない人も、つまるところ大してかわりはないのです。

自分が難なくできることを他の人が苦しんでいる姿を見たとしても、嗤(わら)ってはいけません。自分も過去生で同じように苦しみ、もがいてきたのです。他人を嗤うということは、自分が立ち向かってきた姿を嗤うことなのです。
・・・嗤う(ばかにした気持ちであざけること)

同じ理由で、人と自分を比較して、自分はダメなんだと、過小評価をしてはいけません。

自分で自分を見限ってしまって、一体どうするのですか。現世界に生まれてきたチャンスを放棄するのですか。「自分ならできる」と、信じることが何より大切です。

人はそれぞれ個別の課題を持って現世界に生まれてきています。

難なくできていることは、その人にとっての課題ではないのです。
うまくいかない、苦しいと感じることの中にこそ、課題があるのです。

他人と自分を比較しても何も始まらないし、意味のないことです。謙虚な気持ちで、自分と真摯に向き合うことが大切なのです。

「だめだとわかっていても、どうしても自分を過小評価してしまう」
それには原因があるのかもしれません。スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に相談してもてはいかがでしょうか。
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コミュニケーション

コミュニケーション | カレスティア

「コミュニケーション=会話」と考え、「話好きな人がコミュニケーションの上手な人」と思ってらっしゃる方も多いとは思いますが、それは違います。

コミュニケーションとは言葉だけでなく、相手の表情や仕草を見て、場の雰囲気を感じ取り、声の調子を聞きながら、相手の立場になって考えるといった、五感やそれ以上を総動員させて相手を理解すること。そして、自分の考えを相手が理解できる言葉と表情や感情を交えながら伝えるという「相手と自分の意思を相互に疎通する」ことを指しています。

そのため、相手のこともかまわず、自分のことばかりを話しているような人は、上手なコミュニケーションがとれているとはいえません。

さて、なぜ「魂の浄化」を話題にしている連載に「コミュニケーション」が出てきたのかというと、私たちはもともと似た者同士で社会を構成している霊界にいました。そういった社会は居心地が良い反面、魂の浄化の速度がとても緩やかです。そこで、魂の浄化を一気に加速させるために現世界にやってきたのです。

つまり、現世界とは考え方や嗜好が異なる者たちが同居する社会であり、そういった違った価値観を持つ人たちと接することによって生じる、苦しみや軋轢、よろこびや感動といった様々な体験を通して、自分はどのように思うか、どう行動するかを見極め、昇華するために現世界にやってきたのです。

ですから、「人とつきあうのはおっくう」とか「コミュニケーションは苦手」と言って、逃げいてはいけないのです。ましてや、ニートや引きこもりというような、他人との接触を断つ行為はいけません。コミュニケーションという観点からいうと、人里離れた地でのストイックな修行もだめなのです。

人から逃げることは、現世界に生まれてきた意味と機会をみずから放棄することであり、「魂の浄化」を諦めることと同義になってしまうのです。

人とつきあうことに苦手意識があるのなら、焦らずゆっくりでも構わないので、人と関わり、コミュニケーションをとる努力を続けるべきです。「魂の浄化」において、「コミュニケーション」は避けて通ることができないことなのですから。

「人とうまくつきあうことができない」
そんな悩みをお持ちの場合、もしかしたら、相手を理解する力が不足しているのかもしれません。スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に改善策を尋ねてみませんか。
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