未来は決まっているのか

私たちの未来、たとえば重要な人といつどこで出会うとか、事故にいつあい、どういった病気にかかるのかというような、人生における大切な出来事はあらかじめ決まっているものなのでしょうか。

結論を先に述べますと、未来に起こる事は何ひとつとして決まっていません。

ただし、ある特定の条件がそろったときに発動する、自らが決めてきたことはあります。このことについて、もう少し詳しく説明します。

霊界から現世に生まれるときに、どうしても成し遂げたいことや克服したいことがある場合があります。これを「人生の課題」と呼んでいます。

その「人生の課題」をそれこそ一生をかけて達成したいと思って人は生まれてくるのですが、過去生から何度も繰り返してきた思考のクセもあって、今世でも同じ過ちを繰り返してしまうことがよくあります。

そういったときに、自分の過ちに気がつくために「不都合な出来事」、たとえば人から距離をおかれる、病気になる、事故にあうといったことを発生させるように計画をしている場合があります。

しかし、こういった「不都合な出来事」はあくまでも、「もし」という仮定の上に成り立っています。

過ちをしていなかったり、過ちをしていたとしても、それに気づき、改善の道を歩み始めているのであれば「不都合な出来事」は発生しません。

それに対し、過ちをしていてかつ自分のまずさにも気がつかなければ「不都合な出来事」が発生するようにしています。

霊界で約束をしたパートナーとの出会いも同様です。

スピリチュアルカウンセリングの経験から言うと、○○歳になったら、出会うというようにしているというケースは全くといっていいほどありません。

△△ができるようになったら、出会えるようにしよう、もし△△ができていなかったら、△△ができるまで出会えないようにしようとしているのがほとんどです。そのため、△△ができないうちは、ただただ月日だけが過ぎ去ってしまいます。

このように、運命と呼べるようなものは一切ありません。

しかし、「未来を決めるもの」はあります。それは「今している」ことです。

将来なりたいものや、なっていたい姿があるのであれば、そのための努力を怠らずに続ければ、将来いつか必ずその願いはかないます。

しかし、気の向いた時だけの努力だったり、継続ができない人は願いがかなうことはありません。

自堕落に日々を生きている人は、当然のように将来は破綻します。

未来への行き先は全て、本人に任されています。どの方向でも、自由に進むことができるのです。

全てが決まっていると主張する方も中にはいらっしゃいますが、そういった運命論者的考え方は事実ではありません。

自分にとって不都合なことの全てが、仕方がなかったのだ、不可抗力だったのだと慰めたいのかもしれませんが、そういった考え自体が、努力が足らない言わざるを得ないのです。

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