中庸が大切

ハイビスカス

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人はこの世に生まれる時に、「課題」「願望」「大志」のいずれか、または複数を実現したいと思って、生まれてきます。今日は特に「願望」を実現するために生まれてきた人に、耳を傾けていただきたい話題について書きます。

何かをしたい、何かになりたいといった「願望」を持って生まれてきた人たちは、人生において、その何かが手に入りそうだ、努力次第でどうにかなりそうだとわかると、がぜん夢中になります。そして気がつくと、「願望」を実現するために振り切った人生を歩みがちです。

振り切った人生、つまり願望を実現するために全力をつくした人生というのは、とてもわかりやすいですし、本人にとっても満足度が高いことでしょう。しかし、その人が人生の後半に差しかかったとき、指導霊からは軌道修正と中庸(ちゅうよう)を求められてしまいます。いったいなぜでしょうか。

わかりやすいように、2つのケースをあげて説明します。

Aさんは看護師さんです。
看護師になった当初から、大学附属病院に働き、常に医療の最先端、患者のそばに添い続け、もうすぐ定年を迎えようとしています。

看護の仕事は立ちっぱなしで、力仕事も多い重労働です。長年にわたる過酷な仕事で、膝と股関節を痛めてしまいました。それでもAさんは、足を引きずるようにして仕事を続けています。見かねた同僚が、「たまには休んだら?」とか「大変な仕事は変わります」と申し出てくれても、Aさんはかたくなに断り、今まで通り、がんばり続けています。

スピリチュアルカウンセリング にお越しいただいた時、Aさんは指導霊から意外なことを言われてしまいました。それは、「このままの働き方、生き方を続けていると、来世では重度の障がいを持って生まれることになります。」と言われたのです。

Aさんは強いショックを受けました。なぜなら、Aさんの人生の「願望」は「人に奉仕する」ことだったのです。その願いに忠実に生きてきた人生ですから、Aさんにとって「我が人生に悔いなし」の心境だったのでしょう。Aさんは指導霊から称賛の言葉をいただき、ねぎらってもらえるとさえ思っていたのです。

指導霊はこう言葉を続けました。「これからは人の好意を受け入れてください。断ってはいけません。人生は与えたり、与えられたりです。与える喜び、与えてもらったことへの感謝、その両方が必要なのです。あなたは、与えることだけをしています。このままだと、来世では感謝を体験するために、自身のことがほとんどできない、生涯にわたって人の助けが必要な生き方をすることになります。」と言われました。

Aさんはハッとして、「自分が人の好意を断ったことで、その人に与える喜びを得るチャンスを奪っていた。」と気づきました。与えることは尊いことです。しかし奉仕でさえ、与えたり、与えてもらったりの両方が必要なのです。

次にBさんのケースで説明します。

Bさんは雑貨店の経営者です。
Bさんのお店はおしゃれな街にあり、Bさんのセンスで選んだ雑貨はその街に引けを取らない存在感を放っています。

スタッフも何人か雇っていて、商品の展示や接客の仕方など、厳しく徹底しています。
仕入れ先企業からのお願い案件にも首を縦には振らず、Bさんがいいと思ったものだけを店頭に並べています。お店はまさにBさんそのものです。

Bさんの直前の過去生は、保守的な小さな村に住む女性でした。
あれをしたい、これをしたいというアイディアはたくさんあったのですが、幼少の頃は両親から厳しく制限され、結婚してからは、嫁ぎ先の義父母と夫から、首根っこを抑えられ、何もさせてもらえませんでした。

Bさんの今世の「願望」は、「自分の思う通り、自由に生きたい」というものでした。
Bさんは、自由が許される国で、保守的ではない両親を選んで生まれ、自分のアイディアと力量で、ここまでやってきたのです。

スピリチュアルカウンセリング にお越しになった時、指導霊から「愛する人を見つけて、共に暮らしてください。」と言われました。Bさんは、現在50歳半ば。たくさんの恋愛をしてきましたが、婚歴はありませんでした。「今さら結婚と言われても」と、めんくらっていました。

指導霊はさらに続けてこう言いました。「仕事は今まで通り、自由に、自分が思う通りにしていただいて結構です。しかし、愛する人を大切に思い、その愛する人との関係を保つために自分が折れたり、自分を抑えるということをしてください。」と言いました。

つまり、自由に生きつつも、大切なもののために自らを抑える、その両方が必要だというのです。

結論です。
自分がやりたいという「願望」を実現することはもちろん構いません。しかし、それが全てではいけません。「願望」の対極にある物事にも目を向け、どちらかに振り切るのではなく、両方が必要、つまり中庸ということなのです。

「自分の人生は実に充実していた。でも、指導霊からみたときに、足らない部分はあるのだろうか?」そう思ったときは、スピリチュアルカウンセリング で、指導霊の意見を尋ねてみてはいかがでしょうか。

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