書物に書かれていることが普遍とは限らない

書物に書かれていることが普遍とは限らない

すみれの花が咲いていました。かれんな花ですね。

私がスピリチュアリズムと出会って、もう四半世紀を超えました。

そして今日にいたるまで、たくさんのスピリチュアリズム関連の本を読んできました。その中にはもちろん、名著と呼ばれるものもたくさんあります。そういったたくさんの書物から、少しずつ知識を蓄え、バラバラの点と点をつなぎ合わせていくような、気の遠くなる作業を20年以上続けてきた、という思いが私にはあります。

しかし、職業としてたくさんのスピリットたちと会い、話をするにつれ「それって本当ですか?」と思わず言いたくなるようなことが語られることがたびたびあります。

たとえば、
・死に際に自分の遺体を見る
・魂がたくさん集まって、それが再度分割して再生する
・人生の反省をいつするのか
・霊界の街の様子
・ツインソウルやソウルメイト

書物を読んでいるとセオリーというか、死後必ずこういったことが起こると思いがちなのですが、スピリットに尋ねてみると「ないわけではないけれども、むしろ稀なことです」と言われてしまうのです。

いったいなぜこのようなことになるのでしょうか。

私はある仮説をたてました。それは
「書物に書かれていることはあくまでも作者の体験に過ぎない。それと同じことを多くの人が体験するかというと、そうとは限らない」
というものです。

もう少しわかりやすく、たとえ話で説明しましょう。

新聞には様々なことが書かれています。たとえば、
・工場が爆発した
・通り魔事件があった
・誘拐事件があった

これらは決して嘘ではありません。本当にあったことです。

しかし、私が住んでいる近くの工場は爆発しませんし、道路を歩いても通り魔に会うこともありませんし、誘拐されることもありません。
誰かの体験でしかなく、私が体験するとは限らないのです。

名著と呼ばれる書物でさえ、そこに書かれているすべてのことが普遍的だとは限らないのです。

スピリチュアルカウンセリングで、霊的真理や人はどう生きるべきか、といった質問をご自身のスピリットガイド(指導霊)に尋ねてみませんか?
詳しくはホームページをご覧ください。

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書物に書かれていることが普遍とは限らない」への2件のフィードバック

  1. 山本 恵子

    書物に書かれていることが普遍ではない。そのとおりだと思います。小桜姫物語、生まれ変わりの村等の色んな本を読んでみると共通点や全く違っている点が色々あって…、私も腑に落ちないことよくあります。それを真実だけれど普遍ではないかも?と思えば納得できそうです。
    ただ、自分はどうなのかな…?と想像することもあきらめなければいけないのでしょうね。
    自分の真実の姿は、自分には見えなくて、分からない。どんどん変化しているのでしょうし…。
    いつかヘブンリーカフェで実際にお会いできればと色々お尋ねしたいことをメモ書きし始めました。ヘブンリーカフェの2時間余りは具体的にどんな風なのでしょうか?初対面で5人だと話しやすい雰囲気になったら終了となってしまうのでしょうか?

    返信
    1. Caelestia 投稿作成者

      ブログをご愛読いただき、ありがとうございます。

      ヘブンリー・カフェですが、最初の1時間はスピリチュアリズムに関する様々なことがらを体験することによって、理解を深めるというワークを行なっています。体感することによって、知識だけではなく、腑にストンと落ちると思います。

      残りの1時間はトークです。日頃みなさんが疑問に思っていることなどを語っていただき、それについて参加しているみなさんはどのように考えるかを意見交換しています。

      初参加だからといって、気後れは心配ご無用です。お気軽にご参加ください。

      返信

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