堕天使がサタンになる?

ホーリーバジル

ホーリーバジル

ヨーロッパやアメリカの映画、おとぎ話で、サタン(悪魔)は頻繁に出てくる登場人物のひとつです。そして、元々は天使だった者が、神の寵愛(ちょうあい)を得られなくなったことに腹を立て、身を持ち崩して、悪魔になったという描かれ方をよくしています。

さて、サタンは本当に天使の成れの果ての姿なのでしょうか?

結論を先に申し上げますと、天使は決してサタンにはなりません。
それに第一、サタンというものが霊界のどこを探しても存在していないのです。ただし、「まるでサタンのような悪辣(あくらつ)なスピリット」はいます。

では詳しく説明しましょう。
みなさんの心の中でイメージするサタンとは、山羊の頭と足には同じく山羊のヒヅメをもち、背中には羽が生えていて、額には星形のマークが描かれている、そんな邪悪な姿ではないでしょうか。

このお馴染みのサタン像はヨーロッパの中世の頃にできあがったもので、魔女狩りと密接な関係があります。魔女狩りとは本来、魔女を弾劾するものではなく、異教徒狩りだったのです。それが時代が進むにつれ、精神を患ったもの、政敵、嫌われ者、いかにも魔女っぽい容姿の者も対象になっていきました。

サタンの頭にある星形のマークは「ダビデの星」です。そうつまり、ユダヤ教徒であることを示しています。

異教徒は神の教えに背く者であり、背徳的な行為をする者であると考えていました。その考えが、山羊と人間が合体させたなんとも禍々(まがまが)しい姿として現されたのです。

つまりサタンは人間、特に世界全土をキリスト教徒化させようとしたキリスト教会の野心が生み出した架空の存在なのです。

新約聖書にはサタンが登場する場面があります。それは、イエス様が飢えに苦しんでいる時に「あなたが神の子であるならば、この石をパンに変えてみよ」と挑発する者が出てきます。その時イエス様が「サタンよ退(しりぞ)け」とおっしゃっています。

この場面で言っているサタンとは「神を試す者」という意味です。決して、イエス様の目前に禍々しい姿のサタンが現れたのではありません。実際はイエス様を挑発する村人だったのです。

さらに天使というのは、悪癖を全て浄化し、克服した者です。そして、全ての思考と行動は隣人愛を基準にしています。そういった天使が、神の寵愛を受けられないからといってむくれてしまうというのは、自己愛がある証拠です。

天使の心の中には自己愛のかけらさえ残っていないのですから、矛盾した話になります。さらにいうと、神は特定の誰かを寵愛するということはありません。優れた天使にも、地をはうような最低な生き方をしている人にも、神の愛は全て平等に与えられています。違いがあるのは、受け取る側の問題なのです。

さらに天使は誰かから認定されて天使になるのではありません。思考、行動、生き方そのものが隣人愛になったとき、自然な形で天使になるのです。

たとえ話でしかありませんが、天使がもし、霊的真理から外れるような思考をしたとしても、天使としての階層が少し下がるだけで、真っ逆さまに霊界の最底辺まで落ちていくなんて、ありえないことです。

では、まとめます。
サタンはキリスト教会が生み出した想像の産物でしかありません。天使が堕落することは決してありませんし、ましてやサタンになることもありません。

さて、「サタンのような悪辣なスピリット」については、また別の機会に書きたいと思います。

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