魔女狩り

魔女狩りは過去の物ではなく現代でも、そしてキリスト教を主教としない日本でも行われているということについて書きます。

まずは魔女狩りが行われた背景について。

キリスト教の特徴の一つとして「神はただひとり」という唯一神の考え方があります。これはユダヤ教とイスラム教も同じです。

そしてキリスト教のもう一つの特徴に布教があります。無知蒙昧(むちもうまい)な人々に神の言葉を伝えるのが「福音」であり、改宗を求めるのが「伝道」です。

人間にとって信仰は自然発生的で必要不可欠なものです。どのような僻地(へきち)でも、絶海の孤島であっても、人々は何らかの信仰を持っています。

ローマを基点として活動している伝道師たちは、無信仰のところにキリスト教を伝えるのではなく、すでに信仰を持っている人たちに改宗を求めました。

キリスト教は彼らの信じている神こそが本物の神としています。そして、それ以外の神を「神への信仰をそそのかす者=サタン」と定義しています。サタンから解放し、真実の神へ改宗させることがその地の人々を救済することだと信じていました。

しかし中には信仰を捨てない人たちもいます。すると「神を信じずに、サタンを信仰するものはサタンの手下であり、悪魔である」としました。

そして悪魔かどうかを判断するために、異端審問が行われ、悪魔と認定された人たちの命を奪いました。キリスト教は殺人をタブーとしていますが、悪魔は人ではありませんので、罪を問われることはありませんでした。これがヨーロッパにおける初期の魔女狩りです。

魔女狩りが盛んに行われたのは中世です。しかし、こういった考え方は現代のヨーロッパやアメリカでも多く残っています。

「自分は正しい」「相手が間違っている」「自分たちの考えに沿わないものたちは迫害しても構わない」というものです。その考え方の構造が人種や肌の色、文化に対する差別となって現れています。

このことはキリスト教徒だけではありません。イスラム教やユダヤ教といった宗教でもみられる現象です。そして、いまでも中東のイスラム諸国とユダヤ教を国教とするイスラエルが戦争を繰り返している理由でもあります。

私はキリスト教やイスラム教、ユダヤ教は暴力的だとか、それに対して、仏教徒は穏やかであるとか、日本人に差別はないなどというつもりはありません。

現代の日本では他人の誤ちをみつけるとわざわざSNSに掲載し、集団で非難して、人物特定をするということが頻繁に行われています。これは現代の魔女狩りといっても良いでしょう。

「自分が正しい」という考え方は傲慢(ごうまん)です。

他人には自分とは違う考えがあるのだということを理解し、その違いを受け入れ、認めることが大切です。自分とは違う考えを排除しようとしている間はいつになっても隣人愛も霊的成長もありません。

魔女狩りは過去のものではなく現代、それも日本でも平然と行われているのです。

自分の中に傲慢さが潜んでいないかを確認してはいかがでしょうか。スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊からの言葉を聞くことができます。
詳しくはカレスティアのホームページをご覧ください。

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