指導霊の言葉は教科書どおりとは限らない

カシワバアジサイ


スピリチュアルカウンセリングを行っていると、耳を疑うような言葉がお客様の指導霊から出てくることが、たまにあります。

たとえば、こういうことがありました。

「相手の気持ちを理解することができず、不適切な発言をしてしまい、ギクシャクすることがよくあります。そもそも、人に関心が持てないのです。」という相談がありました。

私としては「もっと人を理解する努力をしましょう。そのためには・・・」という助言がお客様の指導霊から出てくるだろうと思っていました。ところが指導霊から「気にすることはありません」と言われたのです。

私は納得がいかず、「人との関係は重要なことだと思います。しかし、それを放置してよいとはどういうことですか。」とお客様の指導霊に尋ねました。すると、「この人は仕事(芸術分野)を昇華するために来ました。作品を通して、人々の感情を揺さぶり、覚醒させること。それが彼の現世における願望なのです。」といわれました。そして、「もっと仕事に集中しましょう。精進なさい。」とお客様を励ましました。

あるものを求めて現世に来たのだから、それ以外は目もくれるな、というお客様の指導霊のいさぎよさと、必ず達成させてみせるという熱意に驚きました。

また、こういうこともありました。

「両親との縁を切りたいと思いつつ、それは薄情ではないか、人として間違っているのではないか」と悩んでいる方からの相談がありました。お客様の指導霊は和解を勧めてくると思っていたところ、「感謝の思いをもって、両親との縁を切りましょう。」といわれました。

驚いた私は、お客様の指導霊に「一体どういうことですか」と確認したところ、
「この家族は、いつも父は父、母は母は、そして子は子として生まれ、いつも同じ価値観に縛られ、それが原因で同じ失敗を繰り返しています。しかし、その価値観そのものに誤りがあることに本人が気がつき、違う道を歩みたいと考えました。そのためにもまずこのグループから抜けることが先決で、現世はそれをしに来たのです。」
と言われたのです。

縁を切って良い仲というのは通常では考えにくいことです。お互いを理解し、歩み寄って、より良い人間関係へと進めるのが一般的でしょう。しかし、人生をかけて縁を切ることを目標にしていると聞いたとき、私はあぜんとせずにいられませんでした。

このように、指導霊からの言葉は教科書どおりとは限りません。

どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。それはきっと
「人によって、立ち位置が異なるから。いずれは理想を目指すべきではあるが、少なくとも今はその理想を行うことは難しい。それなら、無理をして階段を2段飛び、3段飛びをして失敗するよりは、今できることを試みて一段だけ登るほうが、長い目で見てもよい。」
ということなのでしょう。

スピリチュアリズムの本やブログは、不特定多数の方が読むことを想定しています。そのためどうしても、お手本的な内容で書かざるを得ません。
総論では本やブログで書かれている通りではありますが、各論では違うということもありえるのです。

本来はこうすべきだとわかっていても、それができなくて困っていませんか?
もしかしたら、一般論では計り知れないなにかがあるのかもしれません。スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

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