今日のブログでは、医療が治療だけではなく、死を肯定的に受け入れ、患者に人間らしい最期を提供する機能も持って欲しいという願いを書きます。
かつて、世界中の権力者は不老不死を求めてきました。なかでも中国の皇帝たちの情熱と努力は凄まじいものがありました。
莫大な資金を投じて、僕(しもべ)たちに世界中を駆け巡らせ、不老不死の妙薬を求め、現代の感覚だとまるで冗談なようなものまで口にしていました。
しかし、中国の皇帝はもちろん、死を乗り越えたは者は人類史上、未だかつて、ただの一人もいません。
過去の権力者たちの行動を笑うことは簡単です。しかし、現代における日本の医療は、不死を求める皇帝たちとどこか似ていると私は思っています。
医師たちは、高齢であったり、高ステージのがん患者に手術や抗がん治療を勧めます。本人がちゅうちょすると、家族を巻き込んで、なんとしてでも高度医療へと導いていきます。医師と家族から説得された患者は、よほど決意が固い人でもない限り、治療を開始してしまいます。
その結果、手術によって、がんよりも死期を早めてしまったり、ベッドに縛りつけられ、高濃度栄養を与えられて、苦痛を味わいながら死を迎えることになります。
医師たちは「死に立ち向かせてみせる。患者ががんばれば奇跡は起こる。死を受け入れることは敗北だ。」と考えているのでしょうか。
しかしこの考えは、あまりにも現実を見ていないと言わざるを得ません。
いくら目をそらそうとしても、医療の終着は死です。
だからこそ、死に寄り添う医療へと転換できないかと私は願っています。
以前よりは随分とましになりましたが、治療を続けるか、断念するかの決断を全面的に患者にゆだねて欲しいのです。
「治療しないなら出て行ってくれ」と罵声を浴びせたり、患者や家族に圧力をかけないで欲しいのです。
回復を望む患者さんには従来通りの高度医療を提供してください。
そして、回復を望まない患者さんには、痛みやつらさの緩和治療をし、可能な限り入院ではなく、通院できるようにしてください。
そして、緩和治療だけでなく、教育も実施してください。
たとえば、家族と過ごす時間、人生をかけてやってきた仕事や趣味を完遂すること、疎遠になっていた人たちと再会すること、感謝や詫びの言葉を伝えるべき人と会うこと、そういったことがいかに大切かを伝えて欲しいのです。
医療機関が投薬・手術・入院だけでなく、人生の旅立ちに向けて寄り添う役割も果たす。
そういったことが、日本中の総合病院で行われる。いつかそんな日がきて欲しいと私は願っています。
病気の家族がいて、「何が最善か」を悩むことがあったら、指導霊に相談してはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。
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