お客様から「肉食はよくないのでしょうか」という質問をときおり、受けることがあります。
このブログでも2度ほど、スピリチュアリズム(魂の浄化)の観点から、肉食を避ける理由はないということを取り上げてきました。
お時間があるようでしたら、まずは過去のブログを先にお読みください。
菜食主義
健康に気を使うのはほとほどに
今日は、動物性タンパク質をとるにあたって、さらに理想を求めるのなら、どのようにしたら良いのかについて書きます。
ポイントとしては「飼育方法」「内臓」「種類」「魚介類」の4点あります。
まずは「飼育方法」について
狭い場所や不衛生な環境での飼育は、家畜に過度のストレスを与えます。ストレスは負のエネルギーです。たとえ肉になった状態であっても、ストレス・エネルギーは肉に残ります。そういった肉を人間が食べると、ストレス・エネルギーを体内にとり込むことになります。その結果、イライラしやすくなったり、短絡的な思考に陥りやすくなります。
ではどうしたら良いのかというと、なるべくストレスがかかっていなそうな環境で飼育されている肉を食べた方が良いということになります。
しかし、スーパーなどで販売されている肉はどのように飼育されたかの情報は明示されていません。情報があるものは、いわゆるブランド肉に限定されてしまいます。ブランド肉は通常の肉よりも高価になってしまいます。
また外食の場合、一部の高級レストランを除いて、チェーン系レストランや安価に提供される食事の場合は、飼育方法の確認はほぼ不可能です。
そこで重要になるのが、次のポイント「内臓」です。
ストレス・エネルギーは筋肉よりも内臓に蓄積する傾向があります。不安なことがあったり、クヨクヨすると胃が痛くなったり、お腹を壊したりしますよね。心配事があって、筋肉痛になったという経験はないはずです。これはストレス・エネルギーが内臓に蓄積しやすいという証拠です。
レバーやホルモンといった内臓肉を食べるなとは言いませんが、習慣的に連続して食べるのは避けた方が良いでしょう。
次に「種類」です
特別な飼育の仕方をした肉を除いて、一般的に飼育環境がよくない順にあげると鶏→豚→牛の順になります。鶏ばかりを食べ続けるというのはやめて、鶏、豚、牛をかたよりなく食べた方が、負荷を減らすことができます。
そして最後に「魚介類」について
天然物の魚や貝は、飼育上のストレスというのはありません。よって、ストレス・エネルギーが最も少ない動物性タンパク質といって良いでしょう。だからといって、養殖物は避けて、天然物だけを食べ続けるというのは、少し無理があります。
ではまとめます。
ストレス・エネルギーを蓄えた動物性タンパク質をなるべくとらないようにするには、可能な限り、ストレスのかかっていない飼育方法で育てられたものを食べるようにする。しかし、飼育方法の確認は難しいので、その善後策として、内臓肉を連続して食べない、肉類、魚介類をかたよりなく食べること、ということになります。
ただしこれは「より理想的な動物性タンパク質をとるには」という前提のお話です。こだわりすぎすぎて、かえって自分にストレスを与えてしまっては本末転倒です。ゆるく、だいたいで良いのです。
一番大切なのは、命をいただいているという感謝の気持ちと、食べ物を無駄にしないという最低限のルールを守ることではないでしょうか。
日頃の生活で、魂の浄化にそぐわないことをしていないか、気になりますか?
スピリチュアルカウンセリングで、魂の浄化にもとづいた生き方を尋ねてみてはいかがでしょうか。
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かわいい動物(とくに姿の大きい牛さん)を殺す姿はやはり残酷です。
動物の魂はどう感じてるのでしょうか?
スピリチュアル的行き方に反してるのでは?
投稿、ありがとうございます。
私としての考えをおこたえします。
「動物の魂はどう感じているのでしょうか?」
あらゆる生き物は命を絶たれるときに、悲しみと、苦痛を感じます。だからこそ、絶望を与えないように、少しでも苦痛が少ない方法で命を絶つことが、せめてもではないでしょうか。
それともう1つ、「スピリチュアル的行き方に反してるのでは?」
「スピリチュアリズム」は、「魂の浄化を中心にすえた生き方」という意味です。
何を食べる、何を食べないよりも、魂の浄化を目指して生きることこそが、スピリチュアリズムの主旨です。享楽のためではなく、生きるために殺生をするのであれば、魂の浄化の視点で考えても、問題はありません。
「ベジタリアンであれば、魂を浄化できる」または、「ベジタリアンでなければ、魂を浄化できない」そういうことではありません。
よりご理解いただけるように、ちょと極端な質問をしますね。
牛、豚、鶏、魚、貝、植物、どこまでがかわいそうで、どこからなら、かわいそうではないのでしょうか。
もし「ここまでなら」と言える線があるのだとしたら、それは「自分本位な考え方」だと言えるのかもしれません。たとえ植物でも、自分は生きたいという気持ちをもっています。その思いを断ち切って、私たちは食物として取り入れています。
あらゆる生き物の大切な命をいただいているという、感謝の気持ちが大切なのではないでしょうか。だからこそ無駄にしない、感謝と謙虚さを忘れないことが大切だと私は考えます。