他界した後に、現世界での行いに対して裁きが行われると思ってる方は少なからずいらっしゃいます。
裁くのが神であるか、閻魔大王であるかは別として、何らかの審判を受けて、善人は極楽へ、悪人は地獄に落ちるという概念は、宗教家がでっちあげた作り話以外の何物でもありません。宗教家たちは人々に恐怖を植えつけることによって自分たちの宗教を広め、信者たちをコントロールしてきたのです。
断言しますが、「霊界に行っても、誰からも裁かれることはありません」。
私はスピリチュアルカウンセリング やミディアムシップを通して、多くのスピリットガイド(指導霊)やスピリット(霊)たちと話す機会を得ていますが、一度たりとも審判者がいるとか、裁きを受けたという話を聞いたことがないのです。
しかしです。
現世界での行いや心の中で思ったことを自分自身が後悔したり、残念な気持ちになることはとてもよくあります。いえ、むしろほぼ全ての人がそう思うと言っても過言ではないでしょう。
人は再生の計画のときに、こうなりたいとか、こうしたいという「願望」や「大志」をもちます。しかしこの世に生まれて、それらの機会や環境に恵まれたにもかかわらず、勇気がなかったり、保身に走ってしまったために実現できなかったことを霊界でとても後悔します。
そして、過去生で起こした問題点を「今度こそは克服するぞ」と強い意気込みで「課題」を決めましたが、過去生と同じ過ちを再び繰り返し、またもや課題を達成することができなかったことに砂を噛むような思いをします。
それだけにとどまらず、愛に欠ける行為や意念によって、また別な課題の元を作り上げてしまっていることに気がつき、茫然となります。
他界後、裁かれることを恐れているのだとしたら、「そんなことはないんだ」と自分を解放してください。
そういった呪縛がない人は、自分自身が悔やむことがないよう生きることがいかに大切かを考えてみてください。
「自分は思った通りの生き方ができているのだろうか?」
そんな疑問があるときは、スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に人生の目的について、尋ねてみてはいかがでしょうか。
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