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延命は家族のエゴ

延命は家族のエゴ | カレスティア

オクラの花

延命は本人に無用の苦痛を与え、それが他界の際に強い影響を与えてしまう、ということについて書きます。なお、今回のブログは衝撃的な表現が含まれますので、心配な方はここから先はお読みにならないようお願いします。

私はスピリットヒーリングやスピリチュアルカウンセリングを通して、終末医療に関わる医療関係者や終末患者をケアをする方々とお話をする機会があります。

そういった中、彼らのいたたまれない吐露として、頻繁に出てくる話であり、なおかつ私自身が心穏やかに聞くことができない話題があります。

それはガンなどが体中に転移し、動くこともままならない、そして胃ろう(胃に直接栄養を送り込む処置)や高栄養点滴を受けている患者さんから「殺してくれ」と枯れた声で訴えかけられるというものです。

人や動物は本来、自ら咀嚼(そしゃく)し、食べ物を飲み込むことができなくなると、緩やかに栄養失調になっていきます。そうなると、一番栄養が必要となる脳の働きは緩慢になり、痛みや苦しさが少しずつ感じにくくなっていきます。そして、栄養失調が続くことによって、痛みはほとんど感じなくなってきて、うとうとすることが多くなり、やがて恍惚の状態になって他界していきます。これは、神が与えた霊界への旅立ちの愛あふれる配慮であり、自然界の摂理でもあります。

しかし医療が発達した現在は、その気になれば、心臓が止まるぎりぎりまで、咀嚼や嚥下(飲み込むこと)ができなくなった人に栄養を与え続けて、生かすことができます。

しかしそのことは、脳を最後まで活性化させることであり、心臓が止まる直前まで、痛みと辛さを味わせ続けさせるという不幸な結果を招きます。

そういった患者さんは、臨終の間際に天使や指導霊、先に他界した家族が会いに来てくれるという、本来誰もが体験できるはずの貴重な瞬間を痛みや辛さのあまり、愛や喜びをもって受け入れることができなくなってしまいます。

そればかりでなく、痛みや辛さを耐える期間が長かったため、霊界の病院での滞在期間が一般の方よりも長くなってしまいます。それだけ、霊界の穏やかな波動になるのに時間がかかるということです。

これはとても看過できないことです。

さらに、こういった延命措置を希望する家族に、ある共通点を見出すことができます。

それは、患者(父または母)と家族(息子または娘)の関係が疎遠であったり、ギクシャクしていたり、いわゆる温かな親子関係を結べてないことが多いということがあります。

おそらく家族側が老いゆく親の姿を間近で見続けていなかったため、死を受け入れることができなかったり、「親とはうまくいっていなかったけれども、最期はできるだけのことはした」と言い訳をしたいのでしょう。

患者さん本人が胃ろうや高栄養点滴による治療を希望している場合はもちろん別です。

しかし、患者の意思確認ができない、なおかつ、回復が見込みがない、老齢であるなどの場合は、苦痛を与え続けるだけの延命措置はよくよく考えなくてはいけません。家族の言い訳で生かし続けるのだとしたら、それはあまりにも残忍なエゴでしかありません。延命処置よりも、鎮痛処置に切り替え、苦痛を遠ざけることを検討してください。

親との関係がうまくいっていないのであれば、最期くらい毎日病院に通い、親の手を握り、反応があろうとなかろうと語りかけてください。そして、大切な他界の瞬間を迎えさせてあげてください。そのほうがよほど、愛のある行為です。

「年老いた親とどう接したら良いかわからない」
そういうときは、スピリチュアルカウンセリング で、なぜこの親を選んできたのか、親との関係でやり残していることはないかをご自身の指導霊に尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

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「世間愛」のまとめ

おはようございます。
昨日の夜から降りだした雨が、まだ続いています。
最近の暑い日がうそみたいに涼しいです。
おかげで、夜ぐっすりと寝ることができました。笑
今日の写真は、「スモークツリー」です。
一見とてもお花には見えませんが、これでも立派な花なのだそうです。
カレスティアの庭に咲いていて、夏の終わり頃まで永く楽しませてくれます。

世間愛・スモークツリー

今まで、いろいろと例をあげて説明してきた「世間愛」ですが、今日はいよいよ、まとめです。
「世間愛」とは、
・地位や名誉を欲しがる
・自分の実態よりも、人からよく見られたい
・人の視線を気にして、自分を抑えこんでしまう
・裏表がある
といった感情、欲望です。
「世間愛」という言葉の響きから、「自分には関係ない」と思ってしまいがちですが、実はほとんどの人にあてはまることなのです。
でもこの「世間愛」、「自己愛」に比べたら、排除することは比較的容易です。
自分で「世間愛をなくそう!」と決めたら、すぐにでもスタートすることができます。
では、なぜ「世間愛」と「自己愛」をなくさなくてはいけないか、についてですが、これはスピリチュアリズムの入り口であると同時に根幹であり、そして最も険しい道のりに関わることです。「自己愛」を例をあげて説明させていただいたあと、なぜ世間愛と自己愛をなくなければいけないかを書かせていただこうと思います。
さあ、次回からは「自己愛」についてです。
「世間愛」より、さらに分かりにくいところもありますが、例をあげて可能なかぎり分かりやすく説明させていただきます。
お楽しみに!

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「世間愛」外面のよい人

おはようございます。
ここ数日、本当に暑い日が続いていますね。
昨日ついに、エアコンを入れてしまいました。笑
今日の写真はお花ではなく、ラズベリーの実です。
カレスティアの庭にいくつかなりました。
食べると、口の中いっぱいにラズベリーの芳醇香りが広がります。
ほんのり甘ずっぱくて、おいしいです。

世間愛・ラズベリー

今日も「世間愛」について例をあげて説明させていただきます。
こんな一面が、あなたにありませんか?
会社の仲間や取引先の人とは敬語や丁寧語を駆使して、きれいな言葉で話すけれど、家族や親しい友人とは、粗野な言葉遣いで話してしまう。
友人や知り合いには気配りをして、面倒見がいいのに、家族にはつっけんどんで、どうしても手厳しくなってしまう。
いわゆる「外面がいい」ということです。
これは、本当の自分を押し殺し、相手に自分を良く見てもらえるよう、努力を重ねているということです。
そして、自分のことを良い人だと思ってもらって、あらゆる事柄を自分に有利になるよう、意識または無意識に仕向けているのです。
「世間愛」という言葉からは、ちょっと想像しにくいかもしれませんが、外面の良さも「世間愛」なのです。

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「世間愛」いつもいい人でいてしまう

おはようございます。
昨日は暑かったですね。
庭の草むしりをしようと思ったのですが、暑くてあきらめました。
今日も暑くなるのでしょうか。
さて、今日の花は先週に引き続き、ばらシリーズで「ツルバラ」です。
カレスティアの庭で、きれいに咲いています。

世間愛・ツルバラ

今日も「世間愛」について、例をあげて書かせていただきます。
例えば、こんな方はいませんか?
友達や知り合いと話しているときに、
「ねえ、◯◯は、どう思う?」
「・・・うん、そうだよね。そうそう。」
本当は違うのだけれども、自分の意見をはっきりと言うのが苦手。
ついつい、相手に合わせてしまう。
そして、にこにこと笑ってしまう。
自分の意見を押し通して、「変な人」「嫌な人」と思われたくない。波風をたてなくない。それで、自分を押し殺して、ついつい相手に合わせる。
実はこれも「世間愛」なのです。
人からどう見られているかを過剰に意識している結果、そのような行動パターンが自分の中にできあがっているのです。
「世間愛」というのは、言葉から伝わるイメージよりももっと、広い範囲を指しています。
「わたしに世間愛はないかな?」と思っていた方、ちょっとドキッとしませんでしたか?
次回も引き続き、世間愛について書かせていただきます。

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「世間愛」おしゃれ

おはようございます。
散歩をしているとあちらこちらのおうちの庭にバラがたくさん咲いています。
良い香りも漂ってきて、おもいがけず、豊かな気持ちになります。

カレスティアの庭では、「伊豆の踊子」という黄色いバラが咲きました。
沢山のつぼみがついていますので、かなり楽しませてくれそうです。

世間愛・黄色いバラ

今日も引き続き、「世間愛」について、例をあげて説明していこうと思います。

あなたは「人からどう見られているか」が気になる、ということはありませんか?

「友達と出かけるけど、今の流行を取り入れた服装にしよう。」
とか、

「この服はあまり着てないけれど、去年買ったものだし・・・。」
とか、

「このメイクなら、目が大きく見えるかな。」
などなど。

若い人なら、よく考えることだと思いますし、年齢を重ねていても、そうでしょう。

おしゃれをすることは決して悪くありません。
自分の気持を高めてくれたり、TPOにあわせた服装やお化粧は大切です。

しかし、こんな何気ない日々のおしゃれの中にも世間愛は潜んでいます。

それは、自分の好みや気持ちを押さえて、他人からどう見られるかや流行を重視することによって、知らず知らずのうちに、「人からどう見られているか」が行動や思考の基準になってしまうのです。

そうなると、この深みにどんどんとはまっていってしまい、「世間愛」から抜け出せなくなってしまいます。

「世間愛」とは決して大げさなものではなくて、わたしたちの日常のすぐ隣にあるものなのです。

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