カテゴリー別アーカイブ: 仕事

振れ幅の大きい人生

椿のつぼみ

現在、仕事に就きつつも「この仕事は本当に自分がやるべきことなの?」と疑問を持っている方は多いと思います。今日は、極端な仕事や環境の変化を体験している人たちの例をあげて、そこから人生をかけて何をしようとしているのかを探ってみたいと思います。

長い人生ですから、社会人になって初めて就いた仕事に今も就いているという方はむしろ少数派で、多くの方は一度や二度の転職経験があると思います。

しかし、そういった中でも転職の回数が多く、かつ前職との接点があまりにもなさすぎる方たちがいます。

たとえば、最初の職業は事務機の営業、次についた仕事はリフレクソロジーのセラピスト。次は不動産事務。そして今している仕事はパン職人というように、前職で得た経験と知識をまったく生かすことができないくらい、思い切った転職をしている方たちです。

職業だけではありません。転職を機に住所も大きく変えている方たちがいます。
たとえば、最初の就職先は東京。次は大阪。その次に仙台。そして、今は海外に住んでいる、といった具合にです。

もちろんその時、その時の理由があって、転職や引っ越しをしているのですが、トータルでみてみると、自分でも一体何をしようとしているのかがわからなくなってしまい、「私がこの世に生まれてきた目的、使命は一体なんなんだろう」と考え込んでしまいます。

ここまで極端な相談例は決して多くはないのですが、やはりいらっしゃるのも事実です。

今までの相談例ですと「一貫した職業経験が過去生にしばらくない」というのがありました。

一つの仕事をずっとやり続けるというのは忍耐が必要です。今よりも転職が容易でなかった昔でも、転職を繰り返してきて、それが数回にわたる過去生でも同様だった。そのため、どうしても飽き易い、見切りをつけやすいという性格が形成されます。また、職業を極めなかったことによって、自らの中に適性や才能が備わらなかったという面もあります。

ではこういった方は、現世で何をしようとしているかというと、あらゆる仕事に就いてみて、自分に合うもの、興味を持てるものを人生をかけて探してみたいと思っていたのです。

また他の例ですと、「過去生で我慢をし続けていたので、一気に解放したい」というのがありました。

直前の過去生で、仕事は親のいうとおりのことをさせられて、住居を変えることも許されなかった。閉鎖的な環境と窮屈さに、へきえきしていた。そして、今度生まれ変わる時は、自分の意思でなんでも自由にやってみたい、できるだけたくさんのことを体験したい思っていたのです。

この方の場合は、自由奔放さこそが人生の願いだったのです。

これら以外にも他の理由や原因で、このような人生を送ってらっしゃる方もいるとは思いますが、いずれにせよ、こういった生き方は「過渡期」である、といっていいかと思います。

変化の大きい生き方を通して、さまざまなことを体験し、感じ取り、それを来世につなげようとしているのだけは確かだと思います。



「自分は一体何をするために生まれてきたのか?」
そういった判然としない思いがある方は、スピリチュアルカウンセリング で、ご自身の指導霊から人生の目的を教えてもらってはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

適職

フウセンカズラの種

フウセンカズラの種を採取しました。黒地に白いハート模様の、かわいらしい種です

なんらかの職業に就きつつも「この仕事は本当に自分にあっているのだろうか」「もっと他にあるのではないか」、そして「自分にはどういった職業が向いているのだろうか」と自問していらっしゃる方は結構多いと思います。そして転職すべきかどうかまで、悩んでしまっている方も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

せっかく転職をするのなら、自分に最もあった職業に就きたいですよね。
私は「適職を望むなら、自分の才能を発見することが先」だと考えます。

以前このブログで、才能は過去生における努力のたまものというタイトルで、才能は過去生でひたむきに重ねて来た努力が今生で花開いたもの、という趣旨の記事を書きました。これは、音楽や芸術だけでなく、私たちの身の回りにあるごく一般的な職業にも同じことが言えます。

営業で成績をあげる人には、必ずしも一定の型があるわけではありません。
ある人は、顧客の求めているものを引き出す能力が高く、それをそつなく提供しています。
ある人は、相手の懐に入るのがうまく、情で成績をあげます。
またある人は、激しい闘争心で、同僚の中でいつもトップであり続けることに意義を見出し、自らを鼓舞し続けています。

経営者から厚い信頼を得ている優秀な経理も同じです。
ある人は、些細なことでもいい加減にせず、感情にムラなく、正確であり続けようといつも心がけています。
ある人は、物事の先を考えつづけることようにしていて、資金の過不足を事前に判断し、資金計画をたてることができます。
またある人は、部署内の和を重視していて、自らムードメーカーになることをいといません。

華やかで特殊な職業ばかりでなく、都会にも地方にも、どこにでもある、そして誰もが知っているごく一般的な職業にも必要とされる才能があります。その才能と職業がマッチしたときが「適職」ではないでしょうか。

例にあげた「相手の求めるものがわかる」「人に好かれる」「燃え続ける闘争心」「正確さ」「先を読む力」「人を和やかにする」これらは全て才能です。こういった才能は今生だけで築き上げられたものではなく、過去生での生き方や努力してきた連綿とした事実の反映なのです。

転職する前にまずは、人とは違う、抜きん出たものが自らの中に何があるかを探してみてはいかがでしょうか。
それを見つけることができたら、それを生かすこ職種を探せば良いのです。それがあなたにとっての「適職」になるはずです。

自問したけれども、やっぱりわからない。自分には一体どういう才能があるのだろう?
と悩んでしまった時は、スピリチュアルカウンセリング で、指導霊に自分の才能について質問をしてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

仕事に忙殺されてはいけない

仕事に忙殺されてはいけない | カレスティア

フウセンカズラの花

働き盛りの方に会うたびに思うことがあります。
それは「仕事に忙殺されて、人生について考えることを放棄してしまっている」そして、「それがとてもまずいことだと気がついていない」人が多いということです。

確かに仕事は忙しいです。
朝早く出社して、気がついたら陽はとっくにくれ、夕飯を食べる間も惜しんで働き、やっとの思いで家に着いたら、もうクタクタでお風呂に入って寝るのがせいぜい。私も過労の時代を過ごしてきましたら、よくわかります。

しかしです。
いくら忙しいからといって、週末にいつまでも寝て、テレビを見たり、ゲームをして過ごす。これではいけません。月曜日から金曜日まで、自分の時間を持つことができなかったのですから、やりたいようにやりたいと思うのもわかりますが、パートナーや子供たちと、もっと一緒に過ごす時間を作りましょう。

パートナーや子供たちは、偶然一緒になったのではありません。
あなたと共に人生を歩むことを選んだ人たちです。その大切な人たちと、共に何かをしたり、共に向上すべき何かがあるはずです。しっかりと向き合わなくてはいけません。

それに週末だけではありません。
仕事をしている平日こそ、同僚たちと良い関係を結べているか、仕事を通して奉仕ができているか、内省することが大切です。

「忙しい」だからこそ時間を作り、考える習慣をぜひとも身につけたいものです。

忙しさにかまけて、定年を迎えてしまうと、はたと「いったい自分は何をしてきたのだ」と後悔しても時すでに遅しですよ。

「自分は人生の目的に沿った生き方ができているのだろうか?」
そう思ったときは、スピリチュアルカウンセリング で、ご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

魂の浄化において清貧は必要か

魂の浄化において清貧は必要か | カレスティア

寒い日が続いていますが、暖炉の火を眺めているとほっとします

神から愛されるためには「清貧であることが不可欠」という考え方があります。
特にキリスト教の牧師たちからは、この種の言葉が発せられることが多く、スピリチュアル系の書物(スピリチュアリズムではありません)でも、ときおり見かけることがあります。

しかし、これって本当なのでしょうか?

「清貧」という言葉ですぐ思い浮かぶのが、マザーテレサです。確かに彼女は偉大な方です。
生涯を貧しい人々への奉仕に捧げ、彼女が他界した時に個人の持ち物といえるのはロザリオだけでした。彼女は他界と同時に天使になったと聞かされても、疑う余地もありません。

しかし、多くの人に彼女のような生き方を求めるのはあまりにも酷だと、私は思うのです。

さらにいうと、貧しさには多くの落とし穴があります。

自分の生活がおびやかされるほど困窮すると、どうしても自分中心に考えてしまいます。他人に奉仕しようという高尚な気持ちはどこかにいってしまい、生きることだけで精一杯になります。そしてむしろ、人々の好意にすがるような生き方にならざるを得なくなります。

私は「魂の浄化」と「清貧」さには、相関関係がないと考えています。
むしろ「貧しいよりも豊かな方が良い。そしてその豊かさを活用した生き方のほうがもっと良い。」と思っています。

詳しくいうと、勤勉さはとても大切です。しかし、自分や家族のためや豊かになるために働いてはいけません。それは自己愛です。お客様に喜んでもらいたいという一心で働き、その結果として、豊かになるのが理想です。
そして、手に入れたお金をひたすら貯金して他界してしまったり、自分と家族が幸せを感じるためだけに使うのはいけません。苦境に立たされている人を支援をしたり、人々が笑顔になるためにお金を使おうという心がけをいつも持ち続けることが大切です。お金にも役割というものがあるのです。

困難な清貧さを求めるよりも、むしろこの考え方のほうがずっと現実的で、魂の霊的成長に貢献できるのではと思います。

事実、天使に近いくらいの高級霊の中には、生前裕福な生活を送ったスピリットが少なくありません。

私たちは他人との関わりをもち、どのように考え行動できるかを問うために現世界に生まれてきました。つまり、生涯を通して、たくさんの人たちに貢献することが大切なのです。そこには、貧しさに歯をくいしばるようなストイックさはあまり意味がないのではと私は思います。

「なぜ、いつも生活に余裕がないのだろうか?」
このような悩みをお持ちでしたら、スピリチュアルカウンセリングでご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。問題点を指摘し、具体的な解決策を教えてもらえると思います。
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仕事と収入
収入が少ないと嘆く前に

収入が少ないと嘆く前に

収入が少ないと嘆く前に | カレスティア

ゴーヤのツルに雫が光っていました

「もっと収入が欲しい」と思ってらっしゃる方はとても多いと思います。
そして単に不満だけでとどまらず「より給料の高いところへ転職したい」と具体的に考えている方も多いことでしょう。

でも、「給料が不満→転職」と安易に行動を移す前に、少し考えていただきたいことがあります。
それは、「自分は仕事を通して、本当に他人の役に立っているのだろうか」ということです。

他人とは、社内の人たちかもしれませんし、顧客かもしれません。
何しろ、自分がやっていることが、どれだけ他人の役に立ち、喜びや笑顔をもたらしているのかを見つめ直して欲しいのです。

お給料というのは、厳しい言い方をすると「あなたの評価」なのです。

学生の時を思い出してみてください。
学期末になると成績表が渡されますよね。その成績表を見て、喜んだり、がっかりもしますが、それはやっぱり、あなたの日頃の行動や試験結果の第三者的評価なのです。成績が悪いからといって腹を立てても、それは的外れでしかありません。

給料が少ないと思うであれば、それは会社から見た場合、あなたの評価がその程度ということなのです。

たとえ最初の基本給が低くかったとしても、十分な働きをし、その職場においてかけがえのない人となっているのであれば、おのずと基本給も上がっていくはずです。
会社というのは計算ずくですから、手放したくない人と、そうではないとの待遇は当然のように変えてきます。

基本給が少ない、不満だと思うのであれば、もっと今の仕事を頑張るべきです。

仕事と給料にも因果律の法則は働いています。
どういう種を蒔いたかによって、収穫が変わるのです。

そしてきっかけは、お給料だったとしても、人の役に立つことを繰り返していくうちに、おのずと人は何のために働くのかがわかるようになれるかもしれません。

「今の仕事は自分を活かしきれていると思えない」「もっと良い仕事があるのではないか」
そう思った時は、スピリチュアルカウンセリングで、指導霊の意見をきいてみませんか?
詳しくはホームページをご覧ください。

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