カテゴリー別アーカイブ: 再生の計画

同じ課題が続くとき

日輪

日輪

人は現世に生まれるときに、たとえば「今回の人生では、○○を克服したい」というように、目標を決めて生まれてきます。これを「人生の課題」といいます。

人生の課題のテーマは人によって様々です。「相手の立場になって考えたい」とか「束縛しない」とか、「自己憐憫(れんびん)しない」とか、それこそ無数にあります。

人は現世に生まれると、人生の課題に対して、一生をかけて取り組むのですが、目標未達で終わってしまったり、未達どころか過ちの上塗りをしてしまうということがよくあります。そういった時は、再び来世へとその課題を持ち越すことになります。

スピリチュアルカウンセリングで多くの方と接していると、何度も繰り越された人生の課題というのは、決して珍しいことではないことがわかります。そして、繰り返される課題は、課題の対象が誰であるかによって、特徴があることがわかってきました。2つ例をあげて説明します。

1 人生の課題の対象が「特定の人」の場合

たとえば過去生で、ある人と兄弟姉妹になり、なんらかの問題が発生したとします。たとえば、「肝心なときに手を差し伸べることができなかった」とします。こういった時は、次の再生では兄弟姉妹ではなく、その方と親子になったりします。その人生でも解決できなかったら、さらに次の再生では夫婦になる。というように家族の中で立場を変えていくことが多いことがわかりました。

つまり、お互いに立場を変えることによって、過去に起きた問題「肝心なときに手を差し伸べられない」を克服しようとしているのです。兄弟姉妹でダメだった→親子でもダメだった→今度は夫婦になってみよう、ということなのです。

もちろん、兄弟姉妹、親子、夫婦の順番に決まりはありません。どのような順番でもあり得ます。

2 人生の課題の対象が「不特定の他人」の場合

たとえばある過去生で「自分の考えを伝えるのが苦手」だったとします。この課題が解決されるまで、同じ課題による再生が繰り返されるのですが、課題を持ち越すたびに、その人はより寡黙になっていき、よりかたくなで、交際範囲も小さくなっていく傾向があります。やがて、その課題そのものがその人の性格に反映され、誰から見ても「自分の考えをうまく伝えられない」人になっていきます。

いずれの場合でも、課題を持ち越すにつれ、ハードルはより高くなっていきます。

さらに重要なこととして、課題の持ち越しには限界があるということです。

人生の課題の持ち越し回数はどうやら「3回」が限度のようなのです。
いまだかつて、「今回の人生で、同じ課題に4回目に取り組んでいます」という方を見たことがないのです。

もしあなたが「生き苦しい」と感じているのなら、同じ課題に何度も取り組んでいるのかもしれません。辛く大変ですが、逃げることなく、真正面から取り組んでみてはいかがでしょうか。指導霊の助言がきっと役に立つはずです。詳しくはホームページをご覧ください。

こちらの記事もよく読まれています
人生の課題と願望、そして大志
人は何回くらい再生するのか
現世界に再生する理由

親と不仲だからといって、課題を持っているとは限らない

ヒメツルソバ

親との仲がうまくいっていなかったり、どうしても好きなれなくて、自分の未熟さや我の強さに悩んでいたとしても、そのことが必ずしも、人生の課題とは限らないということもあります。

私たちはこの世に生まれるときに、必ず親を選ばなくてはいけません。
なぜかというと、それはとても簡単なことで、たとえどのような立場の人であっても、父母なくしてこの世に生まれてくることができないからです。

そして多くの人が、父母を過去生で縁があった人の中から選びます。なおかつ、「ただ縁があった」というようなものではなく、愛憎があったり、裏切られたりというように、何らかの問題があって、それを乗り越えたいと思う相手を親として選んでいます。

しかし中には、親をこの世に生まれるための「手段としてのみ」で選んでいる人たちもいます。

たとえば、演奏家(ピアノやバイオリンなど)として成功したいという願いを持って生まれてくる人は、親選びはかなり慎重になります。なぜなら、親に財力があって、親が音楽に関心があり、幼い頃から楽器を習わせてくれること。なおかつ、自分の出生地の近くに優秀な先生がいる必要もあります。そうなると、過去生で縁のあった人から選ぶのは困難になります。

もう一つ例をあげましょう。たとえば、ある人と現世で、どうしても夫婦になりたい。その人がもうすぐ生まれそうだということを急に知ったとします。そうすると、じっくり親選びをしている時間はありません。その人と会うことができるような地域に生まれることが最優先になります。そうした場合、過去生で縁のあった人の中に、その地域で生活している人が一人もいないということもあります。

例であげた演奏家志望の人も、彼(彼女)を追いかけて産まれようとする人も、実は共通していることがあります。それはどちらも「願望」を人生の主たる目的として、生まれてくることです。

最初の例の人は、「演奏家として成功したい」という願望。二つ目の例の人は「彼(彼女)と結ばれたい」という願望です。
このように「願望」を人生の目的としている人は、過去生で縁のな人を親として選ぶ可能性があるのです。

このような方がスピリチュアルカウンセリング にお越しいただき、「親とうまくいかないのですが、どうしたら良いのでしょうか」と相談されたとします。すると指導霊からは「親とのことに悩む前に、あなたがこの世に生まれてきた目的がまだ達成していません。そのことに最大限の努力をしてください。親は、隣人としての善意にとどめ、過剰に思いわずらわないことです。」と言われてしまうこともあるのです。

現世で与えられた時間は思っている以上に短いです。

自分が本当にしたいこと、しなくてはいけないことに全力で向き合うことが大切です。人生の課題ではない事は「ほどほどに」ということもあるのです。

日頃心を痛め、悩んでいることは人生の課題なのでしょうか?
スピリチュアルカウンセリング で、ご自身の指導霊に本当の課題を確かめてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

こちらの記事もよく読まれています
人生の課題と願望、そして大志
願望

中庸が大切

ハイビスカス

ハイビスカス

人はこの世に生まれる時に、「課題」「願望」「大志」のいずれか、または複数を実現したいと思って、生まれてきます。今日は特に「願望」を実現するために生まれてきた人に、耳を傾けていただきたい話題について書きます。

何かをしたい、何かになりたいといった「願望」を持って生まれてきた人たちは、人生において、その何かが手に入りそうだ、努力次第でどうにかなりそうだとわかると、がぜん夢中になります。そして気がつくと、「願望」を実現するために振り切った人生を歩みがちです。

振り切った人生、つまり願望を実現するために全力をつくした人生というのは、とてもわかりやすいですし、本人にとっても満足度が高いことでしょう。しかし、その人が人生の後半に差しかかったとき、指導霊からは軌道修正と中庸(ちゅうよう)を求められてしまいます。いったいなぜでしょうか。

わかりやすいように、2つのケースをあげて説明します。

Aさんは看護師さんです。
看護師になった当初から、大学附属病院に働き、常に医療の最先端、患者のそばに添い続け、もうすぐ定年を迎えようとしています。

看護の仕事は立ちっぱなしで、力仕事も多い重労働です。長年にわたる過酷な仕事で、膝と股関節を痛めてしまいました。それでもAさんは、足を引きずるようにして仕事を続けています。見かねた同僚が、「たまには休んだら?」とか「大変な仕事は変わります」と申し出てくれても、Aさんはかたくなに断り、今まで通り、がんばり続けています。

スピリチュアルカウンセリング にお越しいただいた時、Aさんは指導霊から意外なことを言われてしまいました。それは、「このままの働き方、生き方を続けていると、来世では重度の障がいを持って生まれることになります。」と言われたのです。

Aさんは強いショックを受けました。なぜなら、Aさんの人生の「願望」は「人に奉仕する」ことだったのです。その願いに忠実に生きてきた人生ですから、Aさんにとって「我が人生に悔いなし」の心境だったのでしょう。Aさんは指導霊から称賛の言葉をいただき、ねぎらってもらえるとさえ思っていたのです。

指導霊はこう言葉を続けました。「これからは人の好意を受け入れてください。断ってはいけません。人生は与えたり、与えられたりです。与える喜び、与えてもらったことへの感謝、その両方が必要なのです。あなたは、与えることだけをしています。このままだと、来世では感謝を体験するために、自身のことがほとんどできない、生涯にわたって人の助けが必要な生き方をすることになります。」と言われました。

Aさんはハッとして、「自分が人の好意を断ったことで、その人に与える喜びを得るチャンスを奪っていた。」と気づきました。与えることは尊いことです。しかし奉仕でさえ、与えたり、与えてもらったりの両方が必要なのです。

次にBさんのケースで説明します。

Bさんは雑貨店の経営者です。
Bさんのお店はおしゃれな街にあり、Bさんのセンスで選んだ雑貨はその街に引けを取らない存在感を放っています。

スタッフも何人か雇っていて、商品の展示や接客の仕方など、厳しく徹底しています。
仕入れ先企業からのお願い案件にも首を縦には振らず、Bさんがいいと思ったものだけを店頭に並べています。お店はまさにBさんそのものです。

Bさんの直前の過去生は、保守的な小さな村に住む女性でした。
あれをしたい、これをしたいというアイディアはたくさんあったのですが、幼少の頃は両親から厳しく制限され、結婚してからは、嫁ぎ先の義父母と夫から、首根っこを抑えられ、何もさせてもらえませんでした。

Bさんの今世の「願望」は、「自分の思う通り、自由に生きたい」というものでした。
Bさんは、自由が許される国で、保守的ではない両親を選んで生まれ、自分のアイディアと力量で、ここまでやってきたのです。

スピリチュアルカウンセリング にお越しになった時、指導霊から「愛する人を見つけて、共に暮らしてください。」と言われました。Bさんは、現在50歳半ば。たくさんの恋愛をしてきましたが、婚歴はありませんでした。「今さら結婚と言われても」と、めんくらっていました。

指導霊はさらに続けてこう言いました。「仕事は今まで通り、自由に、自分が思う通りにしていただいて結構です。しかし、愛する人を大切に思い、その愛する人との関係を保つために自分が折れたり、自分を抑えるということをしてください。」と言いました。

つまり、自由に生きつつも、大切なもののために自らを抑える、その両方が必要だというのです。

結論です。
自分がやりたいという「願望」を実現することはもちろん構いません。しかし、それが全てではいけません。「願望」の対極にある物事にも目を向け、どちらかに振り切るのではなく、両方が必要、つまり中庸ということなのです。

「自分の人生は実に充実していた。でも、指導霊からみたときに、足らない部分はあるのだろうか?」そう思ったときは、スピリチュアルカウンセリング で、指導霊の意見を尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。

こちらの記事もよく読まれています
人生の課題と願望、そして大志