人はこの世での生を終えると霊界に行きます。しかし全ての魂が霊界に行くとは限りません。なかには霊界ではなく直接、天界に行く魂もいます。今日はこの差はどうして起こるのかについて書きます。
実際は魂が肉体から出たあとすぐに霊界に行くのではなく、霊界の病院と呼ばれているところに行って、そこでしばらく滞在したあと、ある魂は霊界へ、そしてある魂は天界へと行くのですが、話を単純化させるために、その部分は省略してお伝えします。
霊界に行く魂と天界に行く魂には一体どういう差があるのでしょうか。
それはずばり「霊格」です。
この世を去る時点での霊格が天界に相応している場合は天界へ行き、霊格が天界にふさわしくない魂はすべて霊界に行くことになります。
ではいったい、霊格は何を基準に決まるのでしょうか。
みなさんがすぐに考えることは、「どれだけ良いことをしたか」「どれだけ徳を積んだか」ではないでしょうか。
これはある意味あっていますが、全く違うとも言えます。
「良いことをする」というのはとても素晴らしいことですが、大切なのは、なんのためにしたのかという「動機」です。
人から称賛を得るためや他界後の安泰を願うためであれば、その動機は霊格の向上にはプラスには働きません。いえむしろ、マイナスに働きます。
動機が、純粋に相手の幸せを思ってのことであれば、霊格の向上にプラスに働きます。
しかし、霊格を向上させるのはこれだけではありません。むしろ今から述べることのほうが必要な要素といえます。
要素は2つあります。1つめは「自分の至らない部分を補うこと」。そして2つめは「愛に生きること」です。
「自分の至らない部分を補う」ことを説明します。
魂は霊界と現世界での生活を繰り返していくうちにたくさんの霊的真理に背く悪癖がついてしまいます。たとえば、将来を憂いたり、他人を敬う気持ちがなくなったりと、あげ出したらきりがないくらい至らないことだらけになってしまいます。
人はこの世に生まれる時に自分の至らないところを1つか2つを選択し、それを人生の課題としてやってくるということはこのブログで何回かお伝えして来ました。魂が天界に行くには、今世での課題を全て達成することが必須です。それだけではなくさらに、他にも残っている至らない部分を全て前倒しで克服することも必要になります。
「愛に生きること」は高いハードルです。
まず「愛とは何か」を理解しなくては始まりません。自分が愛だと信じていたことが実は「愛情」であったり「おしつけ」だったりと、「まやかしの愛」であることに気がつかなくてはいけません。
そういった「まやかしの愛」に惑わされることなく、真の愛に生きることが大切です。
しかし、天界に行くという点だけで限定すると、「愛に生きること」は完璧である必要はありません。「愛に生きること」を純粋に求めると、それは地球ではむしろ不可能なことになります。天界でさらに高みを目指すことになります。
最後に、「自分の至らない部分を補う」ことを言い換えると「世間愛と自己愛の克服」であり、「愛に生きること」は「隣人愛」であることをお伝えします。
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