幼くして他界する

タンポポ

幼い我が子が他界する。これは親にとって、家族にとって、実に切なく、耐えがたいことです。
今日はなぜ、幼い我が子がこの世を旅立たなくてはいけなかったのか、その真実を知るための手がかりをお伝えします。

まずは幼い子が他界した、霊的な理由をいくつかあげてみます。
・可能性にかけた
・意図していた
・偶発的な事情
・因果律
おもな理由は大きくこの4つに分けられると思います。

最初に「可能性にかけた」について

スピリットは胎児に入るときに、性別はどちらなのか、順調に育っているかを綿密に調べます。そのため、赤ちゃんに遺伝的な問題や病気、障がいがあることは事前にわかっています。そういった肉体的な問題が、再生の計画において好都合となる場合もあります。そういった場合は迷わず、スピリットはその肉体に入ります。

その反対に、肉体的な問題が再生の計画にそぐわない場合もあります。そういった時は、肉体に入るのを見送りにして、次の妊娠を待ちます。

しかし次の妊娠が難しいと判断したときや、どうしてもこの両親のもとに生まれたいという願いを優先した場合は、胎児に魂が入ることもあります。この場合、発達した現代医療による病(やまい)の克服や病気が発生しない「可能性にかける」ことになります。

つまり、病気の克服や発病しない可能性をかけたにもかかわらず、肉体がもたず、この世を去ることになってしまったというのが1つ目のケースです。

次に「意図していた」について

たくさんのケースがありますが、1つ具体的な例をご紹介します。
両親となる人が命の大切さや、生きる意味に関心がない、または軽んじている傾向がある場合、スピリットが命の尊さを教えるためにあえて、短命の肉体に入ることがあります。

この場合、スピリットには大人になってから何をする、どうしたいといった再生の計画がまったくありません。まさに命をかけて、両親に伝えたかったのです。

「偶発的な事情」について

肉体というのは実にもろいものです。
子や親になんら責任がなくても、自然災害や事故、病気によって他界してしまうことがあります。この場合、当然ながらその子には、大人なってからしたいことや、やるべきことといった、再生の計画があります。つまり、この子の死はあくまでも偶然でしかありません。

この場合、親は自分を責めるのをやめなくてはいけません。さらに、子の無念さを知り、霊界で安らかな気持ちで過ごせることを祈り、子が果たせなかった分までしっかりと、自身の人生の目標を目指す生き方を実践することが大切です。

そして最後に「因果律」について

これは過去生における生き方が原因で、早すぎる死を迎えたものです。
原因となった生き方には様々なケースがあります。具体的な例をあげると、読むのが辛くなるようなことを書くことになりますので割愛しますが、いずれにせよ、子に原因がある場合と親に原因がある場合があります。

ただ、注意していただきたいのは、因果律とは懲罰(ちょうばつ)のようなものではありません。早すぎる死を親も子も承知した上でこの世に生まれてきているのです。そしてこの死を体験し、乗り越える必要があるのです。

今まであげた例はあくまでも、一例でしかありません。
大切なのは、我が子の死に対し、勝手な理由をつけて、自分をごまかし、納得しようとしないことです。

子供が他界した本当の理由を知ることが、これからの生き方の指標となり、他界した子に愛と感謝を伝えることにもなるのです。

子供が他界した理由がどうしてもわからないときは、指導霊に真実を教えてもらってはいかがでしょうか。詳しくはホームページをご覧ください。



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