病気で危篤になった時や事故で重体になった時、幼い頃から現在に至るまでの出来事が、まるで走馬灯のように目の前に現れたという体験を語る方がいらっしゃいます。いったいなぜ、このようなことが起こるのでしょうか。今日はこのことについて書きます。
人が言ったり、やったりしたすべての事柄は正確に記録、保管されています。それが臨終の時に再生されたことによって、走馬灯のように次々と見えることがあります。ちなみに、この記録の保管庫をアカシックレコードと言います。
アカシックレコードについてもう少し詳しく説明します。
アカシックレコードには誰かに喜んでもらえたり、愛にもとづいた行動が取れた出来事、また逆に、たとえ本人はあまり重要とは思っていなくても、人を悲しませたり、霊的真理に反する言動や行動をすると、そのすべてが記録されます。
ではなぜ、瀕死の状態になった時にアカシックレコードの内容が再現されるのでしょうか。そもそもそういう決まりなのでしょうか。
実はこれ、アカシックレコードの暴走なのです。
アカシックレコードは魂が肉体をまとった状態、つまり、人が現世界にいる間はアクセスすることができません。しかし、瀕死の状態になると、魂は肉体から出ようとします。そのとき、制御できているはずの魂の一部に異常が出ることがあります。その異常がアカシックレコードに現れると、過去の再生が行われてしまいます。臨終の際に見た人生の走馬灯はあくまでも暴走でしかありません。そのため、すべての人が臨終の際に見るというわけではないのです。
また、アカシックレコードには現世界での記録だけではなく、霊界での出来事も含め、魂が誕生してから現在に至るまでが記録されています。
人生の走馬灯を見たけれども、自分が体験したことではなかったと言う人もいます。そういった場合は今世ではなく、過去生や霊界での出来事が再生されてしまったのかもしれません。
ちなみに、霊界であれば、いつでも自由にアカシックレコードにアクセスできるのかというとそうではありません。
天使や指導霊たちの手を借り、正当な手順を踏まないと、過去の出来事を再生することはできません。それも走馬灯のように早送りをするのではなく、1つの出来事を再生した後、「これをみてどう思いますか」「どうすべきだったと思いますか」と指導霊から尋ねられます。
人生の走馬灯、大いに興味はありますが、あまり見てみたいものではありませんね。
自分の生き方は霊的真理に沿っているのだろうか?
そんな疑問を感じたら、スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に尋ねてみてはいかがでしょうか。
詳しくはホームページをご覧ください。
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