指導霊はなぜ自殺を止められないのか

注意)このブログは自殺に関する話題です。不快に感じる方がいらっしゃるかもしれません。気になる方はここで読み進めるのをやめることをお勧めします。

日々たくさんの命が自殺によって失われています。もちろん全ての指導霊は、人が自殺しようとするのを必死に食い止めています。そして多くの場合は、自殺が実行に移されることはなく、指導霊の活躍が実って、危機は回避されています。

しかし、全ての自殺を止めることはできていません。
なぜ、指導霊は自殺を止めることができないのかを解説することにより、指導霊の支援とその限界、そして人・スピリットには責任があるということをお伝えしようと思います。

自殺に至るには4つの段階があります。

段階Ⅰ
人が失意と閉塞感から、もう自殺するしかないのではないかと考えます。すると、指導霊は自殺をふみとどめるために、人を介して思い直すようメッセージを送ります。

たとえば、家族から心や健康を気づかったり、ありがとうと言ってもらえる状況を作ります。そして自分を必要としている家族がいるのだと痛感させます。
家族に恵まれていない人の場合は、同僚や友人、ときには知らない人から温かい言葉を投げかけられ、世の中は捨てたものじゃないと感じるようにします。

段階Ⅱ
段階Ⅰで思いとどまってくれれば良いのですが、人からの好意や思いやりが届かず、自殺が実行へと移されるとき、指導霊は機会の喪失を行います。

たとえば、自殺をするための材料がそろわなかったり、道具の不調、死への旅の途中で交通機関にトラブルが起きるなど「この自殺を思いとどめようとする何かが働いている」と感じさせるのです。

段階Ⅲ
段階Ⅱの機会の喪失が行われても、自殺を諦めない場合は難易度が一気に上がります。死への執着は邪(よこしま)なスピリットを招くからです。

邪なスピリットの一つとして、自殺を図り、すでに肉体がなくなっているのに、意識があることから「自分はまだ死んでいない」と思い込んでいるスピリットがいます。そういったスピリットは、自殺志願者の肉体を使って、再び死のうと試みます。

もっと邪悪なスピリット場合は、自殺がどのような結果を招くかを知った上で、人に死をそそのかすのです。人の不幸は蜜の味。最悪のケースです。

このような邪なスピリットが加担したとき、指導霊はどうするのでしょうか。
それは「説得」です。

「説得?」何とももどかしい感じがしますよね。でもこれしかない方法はないのです。スピリットには肉体がありませんので、身体を拘束してどこかに連れ去ったり、人から遠ざけることができないのです。呪文を唱えたり、念力を使って邪なスピリットを退散させることができるのは、マンガの世界だけなのです。

段階Ⅳ
邪なスピリットの説得に失敗しても、もちろん指導霊は機会の喪失を続けます。しかしこれには限界があります。そしてついには命を失ってしまいます。自殺をした人のほとどんが、一度目や二度目の自殺は失敗していて、何度目かの自殺で命を落としているのはこういったことが理由なのです。

これが、全ての自殺を阻止することができない真相です。

ここで大切なのは、人が自殺を思いとどまる or 自殺を実行に移す、そして邪なスピリットが説得に応じる or 応じない、も全ては「自由意志」だということです。

「自由意志」これが、天界・霊界・地球の全てを支配する霊的真理なのです。

誰かの決意はその内容の善悪、良し悪しにかかわらず全て尊重され、誰からも強制されることもなければ、正すこともできません。

そして、自由意志を実行したことによって、起こる結果はどんなに不都合でも、どんなに苦しくても本人は受け入れなくてはいけません。

また、その決意に至る状況がどんなに過酷であっても、人のせいや世の中のせいにすることはできません。

全ては自分が「自由意志」で決めたことであり、「結果の責任は全て自分にある」のです。

むなしさを感じるのでしたら、最悪の決断をする前にご自身の指導霊の言葉を聞いてみてはいかがでしょうか。詳しくはホームページをご覧ください。



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指導霊はなぜ自殺を止められないのか」への2件のフィードバック

  1. koji

    例外のない「法則」として “因果律” を教えて頂いた事があります。善因善果、悪因悪果。理解は出来るのですが、何が善で悪か、隣人愛の基準も何となくわかるが、何となくの違和感を感じていました。
    今回の “自由意志” が霊的「真理」であるという話で、両者が繋がり、腑に落ちました。
    有難う御座いました。

    返信
    1. Caelestia 投稿作成者

      ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
      お役に立てたようで、なによりです。

      私たちは、あらゆることを自由に選択できる「自由意志」が与えられています。
      またその選択による「結果」はどんなに不都合であっても、受け入れるしかありません。これが「因果律」です。

      「自由意志」と「因果律」は表裏一体とご理解いただければと思います。

      返信

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