天使は怒ることがあるのか:大天使ミカエル

「天使といえども怒ることはありますか」と質問を受けたことがあります。
結論を先に申し上げますと「天使は怒りません」。

ではなぜ、天使は怒らないのかを説明します。

極論すると、天使=スピリット=人であり、天使とスピリット、人には種別的な差はありません。天使は元を正せば、私たちと同じ人だったのです。魂を浄化し、神からの愛を受け入れ、真実の愛(隣人愛)に生きることによって、天使になったのです。

ですから、人やスピリットがどんなに愚かなことをしても、それは自分が歩んできた道のりであり、迷える人々を心から救いたいと願いこそすれ、怒るなどということはないのです。

さてここで、天使に詳しい人だとある疑問がわくと思うのです。それは「大天使ミカエルは戦闘の天使でしょ?」と。

大天使ミカエルの図を見て欲しいのですが、確かに剣を持ち、何か悪そうなものを踏みつけています。これはどう見ても戦いですよね。この図を見た人が、大天使ミカエルは戦闘の神だと思っても仕方がないと思います。

しかし大天使ミカエルが戦っている相手は敵ではありません。おのれの中にある邪(よこしま)な思いと闘っているのです。自己中心的な考えや周囲から一目おかれたいという世間愛と真っ向から立ち向かっているのです。そしてそういった渦中にある人やスピリットを支援するのが大天使ミカエルなのです。

ちなみに余談ですが、ミカエルは英語ではマイケル、ドイツ語ではミハエル、フランス語ではミッシェルと発音します。そう、マイケル・ジャクソンもミハエル・シューマッハも、ミッシェル・ポルナレフも同じ大天使ミカエルから名前をいただいているのです。


また仏教に詳しい人だとこのような感想をもったと思うのです。
「あれ?なんだか似たような仏様がいたような」と。そう「不動明王」です。不動明王も剣を持ち、邪悪なものを踏みつけにしている姿でよく描かれることがあります。
こういった図から、悪者や災難から身を守ってくれる仏と思っている人たちがいるようですが、これも違います。不動明王は不退転の気持ちで、おのれの邪な気持ちと闘っていて、同じ苦悶の中にいる人たちに勇気を与えているのです。そして戦いが終わると、穏やかで慈愛に満ちた大日如来の姿になると言われています。

いかがでしたでしょうか。
天使は怒ることはなく、毅然とした態度で臨むのはおのれに対してだけであるということがわかっていただけましたでしょうか。人に対して怒ったり、厳しくするのは未熟者がすることなのです。

怒りっぽい、人を非難するクセがあるようでしたら、スピリチュアルカウンセリングで、ご自身の指導霊に相談してみてはいかがでしょうか。

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