今日は多くの日本人がもつ宗教観と信仰について考察してみようと思います。
イギリスのある調査機関が宗教への帰依と信仰について26カ国の調査を行いました。下記の表をご覧ください
青色が「聖典に書かれている神を信じます(聖書、コーラン、トーラーなど)」
緑色が「高い力やスピリットを信じますが、聖典に書かれている神は信じていません」
というものです。
日本は青色と緑色の合計数が18%と、26カ国中最下位です。
確かに「あなたの宗教はなんですか」と質問をされたら、「わたしは○○教です」とはっきりとこたえる人はあまり多くないと思います。
さらに着目すべきは「わからない(黒色)」と答えた人が44%もいて、26カ国の中で上位グループに属することです。
これをみると「日本人は自分の宗教について、あいまいな部分が多い」と言えるのではないでしょうか。
日本人の多くが、子供が産まれとお宮参りをし、子供が成長すると七五三のお参りをします。お正月には初詣に行きます。行く先はもちろん神社です。
そして、春と秋のお彼岸、お盆にはお墓参りをします。人が亡くなるとお葬式をし、数年ごとに法要を行います。この場合の行き先はお寺です。
神社は「神道」であり、お寺は「仏教」です。もちろん別の宗教です。
他の国では、異なる宗教を同じ人が渡り歩くというのはとても考えにくいことであり、タブーです。しかし日本ではごく普通に行われています。一体どうして日本人はこんな特殊な宗教観をもっているのでしょうか。
理由は2ある、と私は考えています。
まず1つめは「基本が神道だから」
日本にはもともと神道以外の宗教が存在せず、日本人全員が神道の信者でした。太古の人々は古事記に登場する神々の世界を信じていました。その後、仏教は6世紀ごろに中国から伝えられたのですが、仏教は「輸入の宗教」でした。神道は唯一神ではなく、八百万(やおよろず)の神々がいるため、仏教も「神の一人」として、人々に抵抗感なく受け入れられたのだと思われます。
ちなみに今でも七福神は人気がありますが、日本の神様は恵比寿様しかいません。毘沙門天、弁財天、大黒天はインドの神様。寿老人、福禄寿、布袋は中国の神様です。宗教も神道、ヒンズー教、道教、仏教と多岐にわたっています。
大正天皇がクリスマスツリーを飾られたことで、国民にもクリスマスのお祝いが広く浸透しました。2月に好きな人にプレゼントを渡すバレンタインもすっかり国民行事になっています。これらはどちらもキリスト教徒のならわしです。日本人にとって、いまさら神さまがもう一人増えたからといって、どうということもないのでしょう。
そして2つめ「歴史が古すぎる」
神道の始期は、縄文時代の終わりから弥生時代ごろに自然と神を一体と見る自然信仰が始まりだと言われています。つまり西暦でいうと紀元前300年ごろです。
キリスト教はイエス様が他界されて150年くらい経った、1世紀の中頃が始期です。それでも十分に古いのですが、ヨーロッパにはもともと土着の信仰があったので、それからキリスト教へと改宗が行われたのは4世紀ごろです。
イスラム教はさらに新しく、7世紀初頭を始期としています。
日本では仏教が輸入されても、神道から仏教への改宗は行われませんでした。二つの宗教が共存したまま現在に至っていますので、歴史がとても古いことがわかります。
宗教が古くなると何が起こるかというと、それは「形骸化(けいがいか)」です。何かをしたり、禁じたりすることにはその元となる出典があるのですが、長く伝わっていくうちに、なんのためにそうしているのか、なぜ禁じているのか、その理由が人々から忘れられてしまうのです。
たとえば、他界した人は家族を見守ってくれている(神道・祖先神)と考え、夏になるとお世話になっている人に贈り物をして恩に報いよう(道教・中元)とし、親からは嘘をついてはいけない(仏教・不妄語)と戒められます。日本人なら誰でもしていることですが、その出典を知りません。
見方を変えると、日本人は宗教の縛りに無頓着であるものの、それぞれの宗教のいいとこ取りをしてきて、さらには何が元だったのかさえ忘れてしまいます。しかし、習慣や教育として子孫に受け継いでいくことによって、日本人ならではの価値観を形成してきました。そのため、日本人は宗教的ではないが、とても信仰的な民族であるともいえるのではないでしょうか。
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